2017年9月17日 礼拝説教要旨

大いなる希望

三好 晴夫 牧師

コリントの信徒への手紙 二  第5章1-10節

 

主題聖句:わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。 

             コリントの信徒への手紙二 5章1節

 

 

 人は死んだら肉体は朽ちていきます。それで終わりなのでしょうか。そうではありません。上記の御言葉は、地上での肉体が滅びても、神によって頑丈な「建物」のようなからだが備えられるのだと約束しています。

 

そのからだとは、人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。霊のからだであり、新しい命のからだです。死んだあと、次の世界があると、使徒パウロは「わたしたちは知っている」と語っています。

 

その根拠は、主イエス・キリスト御自身が十字架で死なれたが、三日後、死人の中から復活され、救いを成し遂げられたからです。その御業のゆえに主イエスを信じる者に復活の命が与えられると約束されたからです。ですから、人が死んでも死で終わらず、永遠の命が与えられるのです。この約束は、大いなる希望です。

 

先に神のみもとに召された方々は、生きている間、苦しみや闘いがありました。しかし、この大いなる希望、すなわち、天にある永遠の住みかを頂くことを希望として過ごされ、今神のもとにあります。そして今、私たちも、苦しみや辛さを抱えています。けれども、私たちにも、この大いなる希望が与えられているのです。

2017年9月10日 礼拝説教要旨

神に従う

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13節-22節

 

主題聖句:しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。

                 使徒言行録 第419

 

 

 この世界で神を信じて生きるためには、勇気をもって自分の信仰を表明しなければならないことがあります。そのような時、神の与えられた絶好の機会と思って受け止め、その時、主は支えてくださると信じましょう。

 

今日の箇所に、使徒ペトロたちがユダヤの最高法院という場に立たされて、尋問を受けたときのことが記されています。「何の権威によって病人をいやしたのか」というものでした。それに対してペトロは聖霊に満たされて、それはイエス・キリストの名による、と大胆に語りました。

 

議員たちは使徒たちの大胆な態度を見、彼らが無学で普通の人であるのを知って驚きました。それは彼らがイエスと一緒にいたからだと知りました。しかも、足を癒された男がそばにいるという動かしがたい証拠を見て、彼ら議員は何も言い返せませんでした。ただ、これ以上広まらないように、決してイエスの名によって話してはいけないと命令してきたのです。

 

こういう命令を受けたら、普通、最高法院の命令は、神の命令を代弁するものとして従わなければなりません。しかし、この最高法院の命令は、神の御心とは違っていました。使徒自身、主イエス・キリストの救いを頂き、イエスの証人とされて、その名によって病人をいやしただけなのです。それ故、そのイエスの名を語るなという命令には従えないと語るのです。

2017年9月3日 礼拝説教要旨

救われるべき名

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13-22節

 

主題聖句:ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

                 使徒言行録 第412

 

 

 これは何と大胆な言葉でしょう。使徒ペトロが、イエス・キリストこそ唯一の救い主であると力強く証言した言葉です。ペトロ自身が、イエス・キリストと出会い、この方と共に歩む中で、この方の愛に満たされ、この方によって救われたからこそ、その喜びと感謝からこう語るのです。

 

このように語ったきっかけは、ユダヤの最高法院から、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問されたからです。このような尋問に、以前のペトロなら恐れたでしょう。しかし今、彼は聖霊に満たされて大胆に語り出したのです。今自分が取り調べを受けている理由が、ひとりの病人をよくするために行った善いことのゆえであり、この人が何によっていやされたのかということであるならば、何も罰せられることはありません。むしろ、この人が良くなって皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです、と大胆に証言しているのです。

 

その上で、語らずにはおれないという思いを持って語った魂の叫びでした。イエスのほかだれによっても救いは得られない。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないからです。

 

2017年8月27日 礼拝説教要旨

祝福の約束

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章22-26節

主題聖句:それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」

                 使徒言行録 第326

 

 

 イエス・キリストが真の救い主としてこの世に来て下さったことは、大きな恵みです。しかし、そのことに私たちは気づいているでしょうか。

 

「それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。」すなわち、神はまずイスラエルの民に、神の僕・メシアを遣わされたというのが、神の救いの計画だということです。そのことは、前もって、神がモーセによって、私のようなひとりの預言者が立てられると預言されていたことでした。その他の預言者たち皆、メシアが現れると預言していました。また、神がアブラハムに与えられた契約の中にも、すべての人々がアブラハムから生まれる者(メシア)によって祝福を受けるとありました。このように預言と契約に従って、神はまずイスラエルの民に、神の僕として、イエスを遣わされたということです。

 

しかし、イスラエルの民は、イエスを救い主として認めず、拒んでしまいました。けれども、神の救いのご計画は生きているのです。なおも、あなたがた一人一人が自己正当化をやめて、悪から離れて、神の祝福にあずかるようにと、神は働きかけ続けておられるのです。この神の祝福は、イスラエルの民にだけでなく、私たちにも与えられています。

 

2017年8月13日 礼拝説教要旨

慰めの時が来る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章17-21節

 

主題聖句:だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。 

                         使徒言行録第319

 

  誕生したばかりのエルサレム教会で、使徒たちによって不思議な御業が起こりました。生まれながら足の不自由な男がイエス・キリストの名によっていやされ歩き出すということが、町の人々の大きな反響を呼んだのです。人々が非常に驚いてペトロたちのところに集まってきたので、この機会に、ペトロは、この不思議な御業がどこから来たのかを説明しました。それは、イエスの名を信じる信仰によったのだと語りました。

 

そして、そこに集まったユダヤ人たちに悔い改めを迫ったのです。神に向いていく生活をするように呼びかけたのです。彼らが悔い改めるべき理由は、彼らがイエスを捕え、十字架につけて殺してしまったのは無知のためであったからだと語りました。いくら知らなかったと言っても、罪を免れるものではありません。しかも、神は預言者によってメシアがむごい苦しみを受けることを前もって予告しておられたのです。彼らは知らなかったのですが、イエスが十字架につけられるという苦しみにおいて神の救いのご計画は実現したのです。イエスは真の救い主なのです。ですから、この方を信じて悔い改めるとき、罪を消し去っていただけるのです。

 

さらに、この悔い改めは、慰めの時の準備にもなるのです。「慰め」すなわち、安らぎ、元気づけられることが、将来、キリストが再び地上に来られるときにあるのです。このキリストにお会いできるのです。

2017年8月6日 礼拝説教要旨

主において同じ思いを抱け

三好 晴夫 牧師

フィリピの信徒への手紙 第4章2節-9節

主題聖句:わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。      

フィリピの信徒への手紙第42

 

  8月、平和を覚えて共に祈りたい。72年前(1945年)8月に第二次世界大戦が終わった。日本は無謀にも、中国やアメリカなど大国と戦い、戦闘員も一般市民も巻き込んで甚大な犠牲をもたらした。どんな理由があったとしても戦争を繰り返してはいけないと戦争体験者は語っている。でも、今も世界中のどこかで紛争や武力衝突が起こっている。

 

どうして戦争が起こるのか。その原因は、私たち人間の中にある、自分を正しいとし、相手と戦おうとする欲望である。そのような火種はいたるところにある。私たち一人一人の心の中にも潜んでいる。

 

私たちは自己主張し、何かの拍子に爆発して相手を攻撃してしまうことがある。それぞれの弱さゆえに、間違った判断で行動してしまうことがある。そのような欠け多き私たちの中で生まれる対立や衝突に対してどうしたらよいのか。

 

今日の箇所において、使徒パウロは、教会の中に起こる問題をしっかりと認めること、それにおける自分の意見や考えを主張し合って正しいかを決めるのではない。「主において同じ思いを抱く」のです。主がイエス・キリストにおいて成し遂げてくださった和解の出来事にお互いが思いを向けていくことである。このキリストの御業によって私も相手も救い出されたお互いだからだ。そこに一つとなる道を見い出すことができる。

 

2017年7月30日 礼拝説教要旨

イエスの御名を信じる

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章11-16節

主題聖句:あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。

                 使徒言行録第316

 

 エルサレム神殿の「美しい門」のそばで、生まれながらに足の不自由な男が物ごいをしていました。その彼に向かって、使徒ペトロとヨハネは「わたしには金銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と語り、彼の手を取って立ち上がらせたところ、彼は躍り上がって立ち、歩き出すという奇跡が起こりました。これを見聞きした人々が非常に驚き、ペトロたちのところに集まって来ました。そこで、その民衆に向かってペトロが、今行われた奇跡について説明を始めたのです。

 

人々は驚いていました。この二人が奇跡を行う特別な能力を持っていてその力によってこの男を歩かせたのだと思い込んでいたのです。しかしそうではないのです。ペトロは「自分の力や信心によって、この人を歩かせた」のではない、「この人を、イエスの名が強くした」のだとはっきりと語りました。イエスの名とは、イスラエルの神の僕であるイエスの名です。

 

このお方の御力がこの人を強くし、歩かせたのです。イエスの名をこの人が素直に信じて、自分をペトロの手に委ねて立ち上がったとき、イエスの御力が現わされたのです。私たちもイエスの名を信じて歩みましょう。

2017年7月23日 礼拝説教要旨

キリストの名によって歩け

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章1-10節

主題聖句:「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

                  使徒言行録第36

 

 主イエス・キリストの御名の力を覚えましょう。聖霊の降臨によって、主イエスがなさった不思議な御業が、使徒たちによっても行われたのです。その不思議な御業はどのようなものだったのでしょう。

 

使徒ぺトロとヨハネが、午後3時の祈りの時にエルサレム神殿に上った時に起こりました。彼ら二人が「美しい門」という神殿の門を通りかかったとき、そこに生まれながらに足の不自由な男が置かされていたのでした。その男が二人に施しを求めたとき、彼らは彼をじっと見つめ「わたしたちを見なさい」と言いました。その男は何かもらえると思って彼らをじっと見ました。その時です。ペトロは言いました。「わたしには金銀はない」。しかし「わたしの持っているものをあげます」。それは、私の大切な宝であるナザレ人イエス・キリストの名です。その名によって立ち上がり、歩きなさいとペトロは語って、彼を立ち上がらせたのです。彼はペトロの手助けで立ち上がって、神を賛美しながら神殿に入って行きました。

 

ペトロはどうしてそんなことを言ったのでしょうか。ペトロはイエスが真のキリスト救い主であると確信していたからです。このお方が、十字架の死の後、神によって復活し、神の右に座し、聖霊の姿でここにおられると信じていたからです。大切な宝であるキリストを信じていたからです。

2017年7月16日 礼拝説教要旨

皆一つになって

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第2章43-47節

主題聖句:信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

  使徒言行録第24445

              

教会というと、建物、教わる場所をイメージしている場合が多いようですが、教会は、神に呼び集められた群れという意味です。信仰共同体です。最初に誕生した教会は大変魅力的で多くの人が集まっていました。その生活の様子を見ながら、私たちの教会もそのようになるためにどうしたらよいのか考えてみたいのです。

 

最初の教会の信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にしていたとあります。信者たちはイエスをまことの主、救い主と信じていました。ですから、同じ救い主を信じる仲間であると受け止めて、互いに苦しみも悲しみも受け止め合い助け合おうとしました。彼らは、強制されてそうしたのではなく、神への感謝からキリストに従う思いから、自分の物は自分だけの物としなかったのです。貧しく困った人がいたら助けるために自発的に自分の物を差し出しました。心から用立てました。毎日ひたすら心を一つにして集まって神を賛美していました。日々キリストの恵みを覚え、神を賛美したのです。そういう恵みを喜び感謝する姿に見倣いたいです。

2017年7月9日 礼拝説教要旨

悔い改めへの招き

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第2章37-42節

主題聖句:すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」      

使徒言行録第238

              

 

五旬祭というユダヤの祭の日に、心を一つにして祈っていた主イエスの弟子たちに聖霊が降りました。聖霊に満たされた彼らは、ほかの国々の言葉で神の偉大な御業を語り出しました。その姿を見たエルサレムのユダヤ人たちは、大変驚いたり、嘲ったりしました。それで、弟子ペトロは声を張り上げて、自分たちがなぜこのように大胆に語るようになったのかを語り出したのです。

 

彼の語ったことは、この主イエスがユダヤ人に捕らえられ、十字架につけられて殺されたけれども、神は復活させられました。イエスが神からのメシアだからです。この方をあなたがたは殺したのですということでした。

 

このメッセージを聞いた人々は、心打たれ、自分たちはどうしたらよいのですかと尋ね求めたのです。彼らが自らの罪を自覚するのを見て、ペトロは悔い改めなさいと勧めました。今まで神の御子キリストを十字架につけてしまった罪を自覚し、キリストを信じるようにすることです。第二に、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさいと勧めました。洗礼は、イエス・キリストが、この私のために死んでくださり、死から復活されたという御業に結び合わせていただくことです。洗礼によって主キリストに結ばれて、罪が赦され、聖霊を受けるのです。