2017年8月13日 礼拝説教要旨

慰めの時が来る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第3章17-21節

 

主題聖句:だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。 

                         使徒言行録第319

 

  誕生したばかりのエルサレム教会で、使徒たちによって不思議な御業が起こりました。生まれながら足の不自由な男がイエス・キリストの名によっていやされ歩き出すということが、町の人々の大きな反響を呼んだのです。人々が非常に驚いてペトロたちのところに集まってきたので、この機会に、ペトロは、この不思議な御業がどこから来たのかを説明しました。それは、イエスの名を信じる信仰によったのだと語りました。

 

そして、そこに集まったユダヤ人たちに悔い改めを迫ったのです。神に向いていく生活をするように呼びかけたのです。彼らが悔い改めるべき理由は、彼らがイエスを捕え、十字架につけて殺してしまったのは無知のためであったからだと語りました。いくら知らなかったと言っても、罪を免れるものではありません。しかも、神は預言者によってメシアがむごい苦しみを受けることを前もって予告しておられたのです。彼らは知らなかったのですが、イエスが十字架につけられるという苦しみにおいて神の救いのご計画は実現したのです。イエスは真の救い主なのです。ですから、この方を信じて悔い改めるとき、罪を消し去っていただけるのです。

 

さらに、この悔い改めは、慰めの時の準備にもなるのです。「慰め」すなわち、安らぎ、元気づけられることが、将来、キリストが再び地上に来られるときにあるのです。このキリストにお会いできるのです。

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