2023年3月19日 特別礼拝式(小島誠志師)

きょうどう-2023年 No.12  石を投げる

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、

まず、この女に石を投げなさい。」

         ヨハネによる福音書 第8章7節  

 

罪を犯した人に石を投げるのはたやすいことであります。

正義感にかられて石を投げるのであります。

しかし、石を投げる前に、自分はそうした罪に本当に無関

係な人間かどうか、問うてみなければなりません。

同情のない「裁き」は、しばしば大きな誤ちを犯すことに

なるのであります。

小島 誠志 師(日本キリスト教団久万教会牧師)著

「朝の道しるべ」―聖句断想366日-より

 

2023年3月12日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.11  主イエスに従う

 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

ルカによる福音書第9章23節

 

 今日受難節第三主日の聖書箇所は、主イエスが弟子たちに「わたしを何者だと言うのか」と問われたことに対して、弟子のペトロが「神からのメシアです」と答えたところです。そしてそれに続いてご自分が救いの道を開くために十字架への道を歩む告白をなさったところです。

主イエスのご生涯においてこれまでの歩みは、主イエスの教えを聞くために多くの人々が関心を持って集まって来た時でした。しかし、それを喜ばない宗教指導者たちの主イエスへの批判やねたみが高まっていました。そんなとき、主イエスは深い熟慮のすえに弟子たちに、自分をどう受け止めているのかを問われたのです。すると、弟子のペトロが「神からのメシアです」と答えたのです。あなたは、私にとって神から選ばれた真の救い主だと告白したのです。弟子たちの信仰の告白です。

このように弟子たちがイエスを神からのメシアと告白したのを聞かれた時、主イエスは、これからどういうことが待ち受けているかを語られたのです。ご自分が必ず多くの苦しみを受け、指導者たちから排斥され殺されるが三日目に復活する。苦しめられることが神の御心であると受け止めて踏み出されるのです。人々の裁きを引き受けて救うためです。こう語られて、主イエスは弟子たちにこの道に共に歩むよう招かれた。

2023年3月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.10 神の国は来た

しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
                           ルカによる福音書第11章20節

教会の暦では、主イエス・キリストの御苦しみを覚える「受難節」の第二主日を迎えました。今日の箇所は、主イエスが悪霊を追い出し、その人がものを言い始めたとき、ある人が、主イエスに対してひどい言葉をぶつけたことに対して、それに正々堂々と反論なさったところです。
2000年前の時代において、病気は悪霊の働きによっても起こることとされ、苦しむ人の中に悪霊が入り込んで精神的肉体的に病的な状態をもたらすとされていました。そういう状況の中、苦しんでいる人に主イエスが寄り添って悪霊を追い出されたのに、群衆の中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」というひどい言葉をぶつけてくる人があったのです。その時、主イエスはその言葉を発する人の心を見抜かれ、反論をなさったのです。
まず、あなたがたの言うことが正しいなら、親分が子分を追い出していることになり、内輪の争いである。そうであれば、その国は倒れて成り立たなくなる。その当時、ユダヤ教指導者で悪霊を追い出す業をする人たちもいたが、その人たちは問題とせず、主イエスのみを悪霊の頭の力で行っていると言うのはおかしいと反論され、そこで、ここに神の力強い御業が表されているのだから、神の国は来ていると宣言された。

2023年2月26日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.9  荒れ野の試み

イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。      ルカによる福音書第4章4節

 

 教会の暦では、先週より「受難節」に入りました。4月9日のイースター(復活祝日)前日までの6週間、主イエス・キリストの御苦しみと十字架に向かって歩まれる道行を思い起こし、この方が成し遂げられた御業によって自らの罪が贖われたことを覚えて信仰を新たにする時です。

今日、受難節第一主日の箇所は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられたところです。主イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、聖霊が降り、天から「あなたはわたしの愛する子」という救い主と任命される声を聞き、救い主としての歩みが始まりました。そして向かったのが荒れ野でした。荒れた寂しい場所に向かったのは、霊に導かれてであったのでした。そこで、40日もの間、何も食べず過ごし主イエスは空腹を覚えられたのです。そのひどい空腹のとき、誘惑が来たのです。「あなたが神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」というのです。今の空腹を我慢せず、神の子なのだから、神に頼らず自分の力でその苦しみを取り除いたらどうだという鋭い誘惑です。

この誘惑に対して、主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と答えられました。この言葉は旧約聖書・申命記8章3節の言葉でした。イスラエルの民が荒野の40年の旅で天からの食べ物で養われたように、主イエスは神を信じその養いで生きると宣言された。

2023年2月19日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.8  奇跡を行うキリスト

すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。             

ルカによる福音書第9章16節

 

主イエスのなさった、五千人以上の人々に食べ物を与えられた奇跡は、4つの福音書すべてに記されているほど、記憶に残る奇跡です。

きっかけは、伝道旅行から帰って来た弟子たちを休ませるために、主イエスが彼らを連れて人里離れた場所に行かれ、それを知った群衆が後を追って来たことでした。その群衆の姿をご覧になられた主イエスは、喜んで迎え、彼らに神の国のことを教え、治療の必要な人々を癒されたのでした。そうこうするうちに日が傾きかけたので、弟子たちは、そばに来て主イエスに「解散させてください。彼らは自分で宿をとり食べ物を見つけるでしょう。」と進言したのです。

ところが、主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と思いがけないことを言われたのです。この言葉に弟子たちは、きっと自分でどうしたらよいか、切実に考えたことでしょう。そうして、自分たちには、こんな大勢の人々に食べさせる食べ物がないことに気づいたのです。五つのパンと二匹の魚しかないと告げたのでした。

すると、主イエスは弟子たちに群衆に組になって座るように指示され、主はこのパンと魚を取り、天を仰いで祈り、裂いて弟子たちに渡して配らせたら皆が満腹したのです。主は人々を養ってくださる方です。

2023年2月12日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.7  イエスのいやしのみわざ

イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。

ルカによる福音書第5章13節

 

いざ病気になってしまうと、何も考えられなくなり、しんどくなります。そうなった時、適切な医師の診断と治療を受けて、回復したということがあったでしょう。そうではなく、治りにくい病気にかかる場合もあります。不安を抱え、悩み続けていた時、家族や友人が心配して自分のことのように悩みを聞いてくれて、大きな慰めを受けたこともあったでしょう。そういう時こそ、私たちを造り、生かしてくださる神さまを覚えて、信じて助けを求めて祈ることができることは感謝なことです。

今日の箇所の重い皮膚病を患っていた人も、病気の故の苦しみや悩みを持っていたことでしょう。その病気は宗教的に汚れているとされ、人々から離れて宿営の外で生活をしなければなりませんでした。自分は汚れていると言って、人々を近づけないようにする規定に従わなければなりませんでした。その苦しみの中にあったこの人は、規定を破って自分からイエスに近づき、ひれ伏しきよめを求めました。「主よ、あなたのお心が私をきよくすると思ってくださるならば、あなたは私をきよくできます」と切にお願いしたのです。すると、その切実な願いにイエスは「わたしの心だ、きよくなれ」と彼をいやしてくださったのです。信じて願う時、イエスはその願いを聞いて助けてくださるお方なのです。

2023年2月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.6  御言葉を聞き、よく守る

 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

  ルカによる福音書第8章15節

 

主イエスは町や村を巡りながら、神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせました。その主イエスの語られる言葉を聞く人々の中には、色んな反応がありました。そのさまざまな反応を重ね合わせながら、主イエスは、種まきのたとえを語られたのです。このたとえを語られた締めくくりに主イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われました。聞いてほしいという主イエスの強い願いがあったのです。

このたとえを語られた後、弟子たちが主イエスに近づき、このたとえの意味を尋ねました。その求めに応じて主イエスはこのたとえの意味を教えられたのです。「種は神の言葉である」。たとえで示された「種」とは、聞く人の心の中に信仰の実を結ぶことを願って神がイエスを通して語られる神の言葉なのです。いのちの言葉なのです。

主イエスが神の言葉を語ってくださっていても、それを聞く者に試練があったり、生活の思い煩いなどが起こって挫折してしまい信じ続けることができなくなる場合もあるのです。ですから、み言葉を聞く時には、よく聞き、しっかりと自分のものとして握りしめ、それを保ち続けることです。作物が実を結ぶよう、農夫はその成長を辛抱強く待ち続けます。そのようにみ言葉が実を結ぶように忍耐して聞き続けよう。今も神はイエスを通して神の言葉を伝えておられるからです。

2023年1月29日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.5  まことの礼拝

そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。             

ルカによる福音書第21章2、3節

主イエスの時代の礼拝というと、エルサレム神殿に行き、そこで供え物を持って礼拝をささげることでした。主イエスの目から見れば、問題の多い礼拝の姿があったのですが、その中に、信仰に立った礼拝者もいたのです。その一人に、主イエスは目を留められました。

神殿のさい銭箱の前で、金持ちたちが、献金を入れる様子を、主イエスはご覧になっていましたが、ある貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を入れるのを見て、「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」と言われたのです。その金額は、当時の労働賃金の64分の1ですから、わずかな金額です。

主イエスはどうしてそんなことを言われたのかというと、「この人は乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」。生活費の全部とは、自分が生活するために必要なお金の全部ということです。それを全部、神にささげたのです。それは、彼女自身、これまで受けた神様の恵みに心からの感謝をしたいと思い、持ち合わせる全部をささげたのです。全部ささげても神様が満たしてくださると信じての行為です。このように自分自身を神にささげ、神にゆだねることは、私たちのなすべき礼拝です。そのような心を持ってささげたい。

 

2022年1月22日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.4  ふるさとのつまずき

 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。        

                              ルカによる福音書第4章24節

 

主イエスは、ふるさとの町ナザレの会堂で安息日礼拝に出席され、預言書朗読と説教を担当されました。イザヤ書60章1~2節を読まれた後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語られました。この「わたし」なる人物は、ご自分のことだと示されたのです。

人々は、主イエスの口から出る恵み深い言葉に驚きました。しかし、疑問に感じ、イエスに憤慨し、イエスを山の崖から突き落とそうとしました。折角の恵み深い説教が、聞いている人に何の実りももたらさなかったのです。どうしてそうなったのでしょうか。

ナザレの人々をつまずかせてしまったそのきっかけは22節の「この人はヨセフの子ではないか」という言葉です。

主イエスが恵み深い言葉を語った時、人々は慰めと恵みを覚え感激したのですが、ふと頭を冷やしてみると、イエスをそれほどの大人物とは思えなかったのです。この人はヨセフの子ではないかという疑問が湧いてきたのです。ナザレの人々は、イエスがよその町々では沢山の人を癒されたことに不満だったのです。そのような彼らの思いを見抜き「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われましたしかし主イエスはその中にも神の恵みを伝えられます。