2017年2月12日 礼拝説教要旨

仕えるキリスト

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第10章32-45節

 

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり…なさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」  

マルコによる福音書104445

 

主イエスは、十字架への道に向かうにあたり、弟子たちに覚えてほしいと望まれ、従う者のあるべき姿を語られました。それが42節以下の言葉です。これは今日の主イエスに信頼する私たちへの教えでもあります。

 

この世の支配者や権力者は力づくで人々を支配し、従わせています。しかし、「あなたがたの間」すなわち、主イエスを信頼し従う者の集いの中では、それと同じではないです。むしろ、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」と教えられました。

         

 仕えるとは、人のために給仕することです。ですから、イエスに信頼し従う者は、自分自身を、ごく小さな者、取るに足りない者と考えて謙遜になり、他の人の言葉に耳を傾け、人を進んで助けることをしなさいと教えられたのです。

 

そうすべき理由は、キリストが仕えられたからです。神の御子という栄光に富んだ方が、人に仕えるために来られ、事実人に仕えられ、さらに、多くの人の身代金として、自分の命を献げるために来られたからです。多くの人々が、自らの罪を背負って苦しんでいるのを救い出すために、キリストが自ら進んでご自分の命をささげてくださったのです。このキリストの愛と救いの恵みのゆえに、互いに仕え合う者とされなければならない。

 

2017年2月5日 礼拝説教要旨

永遠の命を受け継ぐには

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第10章17-27節

主題聖句: イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

           マルコによる福音書1021

 

 ここに自分の生活に満足できず、魂の飢え、心の渇きの様なものを感じていた青年がいます。彼は主イエスが自分の町に来られたと聞き、走り寄って主イエスの前にひざまずいて尋ねました。「尊い先生。永遠の命を受け継ぐには何をすればよいでしょうか。」何か切羽詰まった真剣な求めです。何かもっと良いことをしなければ、と切実に主イエスに求めました。

 

主イエスの答えは、神に注目し、神と交わり、神の戒めを守ることでした。それは彼らには常識的な答えと感じ、彼は、それは守っていますと答えました。すると、その青年の答えを聞かれた主イエスは、彼を見つめ、慈しまれ、上記の御言葉を語られました。この言葉は、厳しい命令です。でも、誰にでもこのような厳しい道を命じられたわけではありません。この青年にとっては、彼の心を妨げているものが、財産だと見抜かれた主イエスの愛からの命令でした。

 

永遠の命は、神との本当の関係に入ることであり、神の本当の平安です。神に信頼し、神に従うことによって与えられるものです。だから、神に信頼することを妨げるものを捨てなければなりません。だから主イエスは彼には自分の財産をささげて主イエスに従うことを求められたのです。従うことが難しいが、主イエスは、ためらう者をも愛し導いて下さる方です。

2017年1月29日 礼拝説教要旨

家庭の祝福

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書題10章1-12節

主題聖句:「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。」

マルコによる福音書1068

 

 

  ファリサイ派の人々が主イエスに「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか。」と質問しました。この問いを彼らがしたのは、主イエスがどういう理由なら離婚を認めるのかという答えを聞き出して、答え次第でイエスを訴えようと試していたからでした。

 

主イエスはまず、当時の人々が何を根拠にして離婚を認めていたかを、彼らに尋ねられました。彼らは、モーセは、離婚状を書いて離縁することを許しましたと答えました。当時、そのモーセの戒めにある、どういう理由なら離婚が許されるかについて、人々は色んな意見を持っていました。それほど、昔から人間が愛の溢れる結婚を願いながら、その願いが破れ、結婚を解消することが絶えずあったことを示しています。

 

この問題に対して、主イエスは、離婚の理由を一々詮索するよりも、結婚の出発点に目を向けさせようとして上記の御言葉を語られました。人間は男と女という違う人格として、孤立して生きるのではなく、男と女と向かい合う中で、愛し合って生きる存在として造られたのです。それゆえ、人は父母の支配を離れて、その妻と向き合い、愛し合い、一つとなって生きるのです。結婚は神によって結び合わられたと信じて、共に歩む道です。ですから、神が与えて下さった相手として受け入れ、共に生きるのです。

2017年1月22日 礼拝説教要旨

塩けを保ちなさい

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第9章42-50節

主題聖句: 「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」

マルコによる福音書950

                                   

今日の箇所も、主イエスは弟子たちに、ご自分の受難予告をなさってから、十字架への道に向かう道中、弟子たちに、主イエスに従う者のあるべき姿を教えられた言葉です。

 

42節で、主イエスを信じる仲間をつまずかせないように気を付けること、また、43節以下で、主イエスに従う者自身が、つまずくことがないように気を付けるように、と教えられておられます。

 

その時、弟子たちの思いは、主イエスの受難予告の意味が分からず、神の国が近づくことを思って、自分勝手に、弟子の中で自分が一番偉い者になりたいという思いで一杯であったのです。

 

そんな弟子たちが、主イエスから離れてしまわないように、主イエスの愛と教えをしっかりと保つように主イエスは、塩の話をしておられます。「自分自身の内に塩気を持ちなさい」と言われました。塩というと、調味料の一つで味付けの役目、また、防腐剤の役目を思わされますが、旧約レビ記2:13を見ますと、塩が、神様にささげる供え物にふりかけられたとあります。それは、神様との関係が保たれるためでした。そのように、弟子たちも、主イエスとの関係を変わらず保つための「塩」を頂いて、主イエスに従い、互いに平和に過ごすように教えられています。そのために主イエスと深くつながり続けて、その愛と教えに導かれましょう。

 

2017年1月15日 礼拝説教要旨

広い心

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第9章38-41節

主題聖句:「イエスは言われた。『やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。』」 

            マルコによる福音書93940

                                   

 

主イエスは弟子たちに、ご自分の受難予告をなさってから、十字架の道にまっすぐに向かっておられました。でも弟子たちには、その本当の意味が理解できませんでした。その間、弟子たちは彼らなりに考えて、間違いをしてしまい、それに対して、主イエスから正され教えられました。

 

弟子のヨハネが、イエスのもとに来て、イエスの名を用いて悪霊を追い出している人を見たので、その人に対して、そんな業をするのなら、わたしたちに従ってもらいたい、従わないのなら、その業を止めなさいと命令したと、意気揚々と報告したのです。

 

ところが、主イエスは、ヨハネの予想に反して「やめさせてはならない」といさめられたのです。ヨハネには、自分たちこそ、主イエスから直々にイエスの名によって悪霊を追い出す権能を授けられたという自負心がありました。主イエスは「わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後でわたしの悪口を言えまい。私たちに逆らわない者は、わたしたちの味方です」と言われたのです。イエスの名によって悪霊を追い出すという御業は神の霊による御業です。ヨハネに従わなかっただけで、その人もイエスに従っていたから、それができたのだ、その人も私たちの味方だと言われたのです。イエスの名を知る人がここにもいることを喜ばれたのです。

2017年1月8日 礼拝説教要旨

仕える者になりなさい

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第9章30-37節

主題聖句:「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』」 

                マルコによる福音書935

                                   

 先週まで主イエス・キリストの誕生の出来事を学んできましたが、今日から再び、マルコの指し示す、主イエス・キリストの福音を学ぶために、マルコ9章30節以下に戻ります。

 

主イエスはフィリポ・カイサリア地方で、弟子たちに、ご自分の受難予告をなさってから、十字架の道にまっすぐに向かっておられました。でも弟子たちには、主イエスが殺されることなど全く理解できませんでした。

その間、弟子たちの考えていたことは、主イエスが間もなくイスラエルの王となられる、その時に王のそばに着座する一番偉い者は誰かという思いでした。弟子たちは、誰が一番偉いのかと議論していたのです。

 

そのような彼らの思いを見抜かれた主イエスは、彼らに、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、人に仕える者になれ」と教えられたのです。

 

この教えは実行不可能に思えます。でも、こう教えられたのは、主イエス自らがそのように人に仕えられたお方だからです。神の御子であられるお方なのに、人々が罪赦され、救われるためにご自分の命を捨てて下さいました。私たちのしもべとなられたのです。このような愛を受けているのだから、私たちに、神に仕え、人に仕えるように求められているのです。

2017年1月1日 礼拝説教要旨

主は守られる

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章13-23節

 

主題聖句:「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』」                

 マタイによる福音書213

                                   

先週のクリスマスの恵みを覚えつつ、新しい年2017年元旦を迎えて最初の礼拝を持っています。

 

最初のクリスマスの出来事をよく見ますと、救い主イエスの誕生を喜び祝うという明るい面ばかりではなく、今日の箇所に記されているようにヘロデ王の殺意から逃れるためにエジプトに逃げたことなど大変困難や危険が、その誕生の時からずっとあったのです。

 

幼子イエスに会った占星術の学者たちが帰っていった後、主の天使が、ヨセフに夢の中で、あの残酷な王ヘロデが、学者たちが拝みに来たユダヤに生まれた新しい王が、まことの王かもしれないと恐れを抱き、その幼子を探し出して殺そうとしているから、今すぐに幼子とその母を連れて逃げるように具体的に指示をしたのです。

 

ヨセフはその主の天使の言葉に忠実に従いました。その直後、ヘロデの使者がやってきてベツレヘムの2歳以下の子供が犠牲になりましたが、彼らは、かろうじて助かりました。エジプトで、ヨセフは、家族を一生懸命守ったのです。このようにヨセフが忠実に神様の言葉に従う歩みの中で、幼子イエスは守られ、成長して行きました。そうして神の救いの計画は進みました。主は彼らを守られたように私たちをも守っていて下さいます。

 

2016年12月25日 礼拝説教要旨

 大きな喜び

三好 晴夫 先生

ルカによる福音書 第2章8-20節

主題聖句:「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』

ルカによる福音書211,12

                         

クリスマスおめでとうございます。今日は、1年の最後の日曜日でもあります。1年の恵みを振り返り感謝ながら、クリスマスに現された主の恵みを覚えましょう。

 

救い主の誕生の知らせを最初に受けたのは、ベツレヘムの野原で野宿しながら夜通し羊の番をしていた羊飼いたちでした。彼らは、他の人々のように住民登録の知らせを受けて登録に出かけて行った様子がありません。職業柄、安息日に神殿に礼拝に行くこともできません。戒めを守らず、神から遠い人たちでした。そんな彼らのところに、救い主の誕生の知らせが最初に届けられたというのです。なぜ彼らに知らされたのでしょうか。それは、天使の御告げの言葉に示されているように、その知らせが「民全体に与えられる大きな喜び」であったからです。神から遠い人々にも、神は何としても大きな喜びを知らせて、彼らと一緒に喜びたいと思われたことを示しています。

 

では、この大きな喜びとは何でしょうか。それは、「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」ということです。「あなたがたのために」すなわち、羊飼いたちはじめ、神から離れてしまって、神の恵み、喜びを失っていた人たちのためにということです。そのような人々に、神は御子を救い主として送ってくださったのです。この救い主が私たちに神の愛を伝え、私たちを救い出してくださるのです。喜び感謝しましょう。

2016年12月18日 礼拝説教要旨

 神は我々と共におられる

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第1章18-23節

主題聖句:「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

                         マタイによる福音書第123

 

 

「インマヌエル」すなわち、「神が我々と共におられる」ということは大きな恵みです。

 

主の天使が夫ヨセフに言われたことは、マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったものである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからであるということでした。この主の天使の言葉を、福音書の著者マタイは、イザヤ書7章14節の預言の言葉と結びつけて、このイエスと名付けられるお方こそ、その存在と働きの全体において、「インマヌエル」すなわち神は我々と共におられると言われるにふさわしいお方である、と説明しています。イエス・キリストにおいて、神は人間の世界に入って来られ、自分たちを神様のものとして回復してくださったのです。

 

私たち人間は神に造られたものですが、神に背を向け、神から遠く離れて神と自分との間に大きな隔たりが生じています。その結果、神が共におられない状態の中に人間がおかれてしまっていました。しかし、このような神と人との隔たりを人は埋めることはできません。そこに、神様は、その隔たりを取り除くために、御子を送ってくださり、神自ら、私たちのそばに来てくださったのです。私たちと共にいることを目に見える形で始めてくださいました。イエス・キリストにおいて神が私たちと共にいてくださるのです。

 

2016年12月11日 礼拝説教要旨

 主の道を備えよ

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第1章5-25節

主題聖句:「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」                       ルカによる福音書第117

 

 

今日は、間もなくおいでになる救い主に先立って、救い主を迎えるための心備えをした洗礼者ヨハネの誕生とその働きについて学びます。

 

時は、ユダヤの王ヘロデ(紀元前37年~紀元前4年の在位)の時代です。ユダヤでザカリアという祭司が、主の聖所の中で香をたいていたとき、天使が現れて、年老いたザカリア夫婦に男の子ヨハネが生れること、そのヨハネが、人々を神である主のもとに立ち帰らせる役目をすると告げたのです。

 

そのヨハネは、人々が救い主を迎えることができるように、準備の出来た民を用意するのです。「父の心を子に向けさせ」るのです。すなわち、父親がしっかりと子どもに自分の心を向けて、父親の愛の思いを子に表すように、ヨハネが働きかけるというのです。親が子を愛し、受け入れるように働きかけるというのです。「逆らう者に正しい人の分別を持たせ」るのです。「逆らう者」とは、すべての人間の姿です。私たちは神によって創造され生かされているのですが、神をよく知りません。神を意識せず、自分勝手にわがままに生きてきました。そんな私たちが正しい人の分別を持たなければなりません。何が神に喜ばれるのか、神のみ思いを知らなければなりません。人々が神に心を向け、神を知り、神を信じたいと思うように、していく役目をヨハネがするのです。事実、ヨハネは神に立ち帰るように勧めました。

 

それほどに神様ご自身が、私たちを整えて導こうとしてくださるのです。