2021年5月2日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.18 道・真理・命の主 
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
ヨハネによる福音書 第14章6節
いつもそばにおられ助けてくださっていた先生が、どこか遠くに行かれると知って、弟子たちは、不安に感じ、どうしたらよいのか心騒がせました。その彼らに主イエスは「心騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしを信じなさい」と語られ、確かな約束と励ましを与えられました。
主イエスの語られた励ましは、ご自分がこれから向かうのは、父の家であり、そこであなたがたのために住む場所を用意するのだということでした。一時的には弟子たちと離れることになるが、父なる神のみもとに行かれて、あなたがたの住むべき場所を用意されるのです。そのために、主イエスは十字架にかかられるのです。私たちの罪とその結果の裁きをご自分が背負って、贖いの業を成し遂げられるのです。そのようにして父なる神の前に、あなたがたの罪が赦され、永遠の命が与えられるようにしてくださるというのです。父の家に住むべき場所が備えられたあと、主イエスは戻ってくると約束されました。 さらに、主イエスは、ご自分が、道である。あなたがたを父なる神のもとに導く道そのものだと宣言されました。主イエスが真理そのものでありいのちそのものだからです。このお方に信頼して、私たちをも父なる神のみもとへと導いて頂きましょう。

2021年4月25日 礼拝説教要旨

復活の主イエス 

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第11章17-27節

             

主題聖句: イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。   

ヨハネによる福音書 第11章25節

 私たちは、毎日の生活の中で、色んな困難や苦しみで出会い、戸惑い、動揺してしまうことがあります。そんな時こそ、私たちの持つ信仰のあることが問われます。実に私たちは弱い者なのですが、私たちと共におられて生かしてくださるキリストを信じてお頼りして行くとき、強められ、支えられていく事が起こるのです。キリストを信じて行く信仰の大切さを今日の箇所は教えてくれています。

 

ある時、ベタニアに住むラザロが病気になり死んでしまいました。彼は主イエスを信じていた人でした。主イエスは彼が墓に葬られて4日経ったあと、ベタニアに来られました。その時、主イエスは、悲しみの中にある姉マルタに、「あなたの兄弟は復活する」と言われました。でもその時のマルタには、その言葉は、終わりの日の復活の時に復活することだと思って、それは信じますとだけ答えるだけでした。そのマルタに主イエスは力強い約束と宣言を語られたのです。それが上記の言葉です。

 

この世の終わりの時だけでなく、今、主イエスを復活であり、命であると信じるなら、主イエスは私たちの命一切をご自分の復活の命で生かしてくださるのです。主イエスは、事実、この言葉の通りに、十字架で死なれ贖いの業を成し遂げられた後、死人の中から復活されました。主イエスを復活させられた神の全能の力は私たちをも生かしてくださるのです。

2021年4月18日 礼拝説教要旨

ヨナのしるし  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第12章38-42節

 

      

主題聖句: イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。           マタイによる福音書 第12章39節

 主イエスは、病気の人や悪霊に取りつかれている人を癒されるなど多くの奇蹟を行っておられましたが、人々の中には、主イエスに「先生、しるしを見せてください。」と求める人がいました。それは、律法学者、ファリサイ派の人たちでした。彼らは、一応主イエスを「先生」と呼びかけて敬っているようですが、その実、主イエスが救い主であるとは認めず、救い主ならそれ相応の特別な能力を持っている外に見える証拠を見せてくれと要求したのです。

 

 

今日も、多くの人たちが、イエスを立派な優れた人格者と認めつつも、神の御子、救い主であるかどうか、それ相応の特別な能力を持っていることを示す外に見える証拠を見たいと思っているのではないでしょうか。証拠があって、自分たちに納得できる科学的証明がなければ信じないという思いが私たちの中にあるのではないでしょうか。この問いに対して、主イエスは「よこしまな神に背く時代の人たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」のです。「神に背いた」とは、神から愛されているのに愛を受け止めず裏切るような生き方のことです。何か特別のしるしによって神の愛の証明がなければ信じないという姿です。ただヨナのしるしがある。それは主イエスの死と復活によってあらわされた神の力です。主イエスの示されたしるしを見つめましょう。

2021年4月11日 礼拝説教要旨

からっぽの墓 

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第28章11-15節

 

主題聖句:    言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。

           マタイによる福音書 第28章13節

今日の箇所は、主イエスの納められた墓がからっぽであったことが、弟子たち、主イエスを信じる人々に重要なことであっただけでなく、ユダヤ人の指導者たちにも大変気になることであったことを示しています。

 

主イエスが十字架でなくなられた後、納められた墓を、ピラトの命で番兵が見張っていました。週の初めの日の朝、大きな地震が起こり、その墓に主の天使が現れ、墓の入口の石がわきに転がり、その番兵はそれを見て震え上がったのでした。婦人たちも墓に行き、天使から主イエスが復活されたことを聞きました。この番兵は、その話を聞いたかもしれません。   その番兵たちは都に戻り、この出来事すべてをユダヤ人指導者たちに報告しました。それを聞いた指導者たちは、兵士たちに多額のお金を与えて「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさいと命じたので、彼ら兵士たちはそのお金を受け取って教えられたとおりに、出て行って言いふらしたのです。このようにして偽りの話が広まって行ったかに見えます。それほど、ユダヤ人指導者たちには、主イエスの墓がからであったことは、主イエスの復活を示すとは信じられなかったのです。しかしこの妨害の中に主イエスの復活は広まっていった。