2023年7月16日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.29  嵐を静めるキリスト

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」                   

                           マタイによる福音書 第8章26節

  イエス様を信じて歩む生活は、穏やかで順調に楽しい生活ばかりではなく、時には嵐が起こって行く手を阻み、前に進めないことが起こることがある。イエス様が共におられても嵐が襲ってくるのです。「湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。」

その嵐のために、舟の中に巻き起こる大変な状況に対して、弟子たちは何とか助かろうと必死に頑張っていたのでしょう。その中にも、イエス様は眠っておられたのです。イエス様はお疲れであったのです。そして、神の守りを信じて安心して眠っておられたのです。

しかし、弟子たちは、イエスが眠っておられるままで良いとは思いませんでした。イエス様に起きていてほしくて、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と必死にイエス様に助けを求めました。

しかし起きられたイエス様は厳しい言葉を弟子たちに語ります。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者」。イエス様は、彼らのそばにイエス様がいるのに、非常に怖がっている状態を、不信仰と思われたのです。あなたがたは、イエス様がそばにいると信じていたかと問われたのです。

イエス様は、彼らが求めていたよりももっと大きなことをなさいました。起き上がって風と湖をお叱りになると、すっかり凪になりました。

2023年7月9日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.28 主イエスに従う

イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
                            マタイによる福音書 第8章20節

主イエスを信頼して生きることは、主イエスに従うことです。では、主イエスに従うことはどういうことかを、その教えから学びたい。
ひとりの律法学者が、イエスに近づいて来て、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」と言って来たのです。この人は、聖書を学びつつ、人々に聖書の戒めを守るように教えていた教師でした。その人が、イエスの説教を聞き、そのなさる御業を見て、イエスに心惹かれ、自分もイエスの弟子となりたいと思ったのです。
でも、彼がどんなに熱心な真剣な求めがあったとしてもイエスに従うことがどういうことか知りません。おそらく、これまでの平穏な生活と、学者としての栄誉に、さらにイエスの弟子となることで何かが加わることを期待していたのでしょう。
ですから、そのような願いを持つこの人に対してイエスは、主に従う弟子には、耐えなければならない苦難、自己犠牲があることを教えたのです。「人の子には枕する所もない」と。イエスには、安住の家はない。人々の味わっている不安定な放浪の生活をイエスも共に味わっているのです。イエスに従う者はイエスと共に苦難の生活をも負わなければならないと、教えられたのです。

2023年7月2日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.27  私たちの病を負うキリスト

 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」。                  

マタイによる福音書 第8章17節

 

 主イエスのみもとに多くの人が病にかかった人を連れて来ました。主イエスはそれらの人々をいやされたと、今日の箇所に記されています。このような主イエスのいやしをなさる姿について、マタイは、預言者イザヤの言葉で、喜び賛美しています。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と、主イエスを賛美しています。

マルコによる福音書1章29節によれば、安息日の礼拝を終えてから、主イエスは弟子ペトロの家を訪ねられました。人々の知らせによって、ペトロのしゅうとめが熱を出して寝込んでいることを聞かれたからでした。ペトロは、召し出されて弟子となってからも妻を去らせることなく、むしろ妻のしゅうとめを引き取っていたのです。ペトロの召し出された主イエスは、ペトロの家庭に問題が起こったとき、その家に入って行かれて、その問題を解決してくださるのです。これは主に従う者に与えられる主の恵みです。主イエスはペトロの家に入り、しゅうとめの抱えている問題をご覧になり、いやしの御手を差し伸べられました。

主イエスが御手を差し伸べると彼女はいやされました。いやされるとすぐに起き上がって主イエスをもてなしたのです。ここに、いやされたしゅうとめが、感謝にあふれて奉仕せずにはいられない姿を見ます。