2023年7月2日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.27  私たちの病を負うキリスト

 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」。                  

マタイによる福音書 第8章17節

 

 主イエスのみもとに多くの人が病にかかった人を連れて来ました。主イエスはそれらの人々をいやされたと、今日の箇所に記されています。このような主イエスのいやしをなさる姿について、マタイは、預言者イザヤの言葉で、喜び賛美しています。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と、主イエスを賛美しています。

マルコによる福音書1章29節によれば、安息日の礼拝を終えてから、主イエスは弟子ペトロの家を訪ねられました。人々の知らせによって、ペトロのしゅうとめが熱を出して寝込んでいることを聞かれたからでした。ペトロは、召し出されて弟子となってからも妻を去らせることなく、むしろ妻のしゅうとめを引き取っていたのです。ペトロの召し出された主イエスは、ペトロの家庭に問題が起こったとき、その家に入って行かれて、その問題を解決してくださるのです。これは主に従う者に与えられる主の恵みです。主イエスはペトロの家に入り、しゅうとめの抱えている問題をご覧になり、いやしの御手を差し伸べられました。

主イエスが御手を差し伸べると彼女はいやされました。いやされるとすぐに起き上がって主イエスをもてなしたのです。ここに、いやされたしゅうとめが、感謝にあふれて奉仕せずにはいられない姿を見ます。