2022年5月1日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.18 信じる者になりなさい

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。…信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

                   ヨハネによる福音書 第20章27節

 

 十二人弟子の一人のトマスという人は大変正直な人であったと思います。いい加減なことができないので、自分が本当に信じられなければ、信じたとは言えない人でした。

主イエスが復活されたその日の夜、弟子たちのいる所に主イエスが現れたとき、トマスは一緒にいませんでした。トマスが戻ってきた時、他の弟子たちから復活された主イエスにお会いしたことを聞いても、それを信じることができないと断言しました。それは主イエスがあの十字架で死なれ、葬られたことは確かな事実であり、自分も捕らえられるかもしれない恐怖の中にあったからです。あなたがたが言うように、主イエスが復活なさったのならば、その主イエスの指にできた御傷に、この指を突っ込んでみないと信じないと言ったのです。正直な言葉です。

それに対して主イエスは8日後弟子たちの集まっているところに入って来られ、トマスだけに語りかけられました。あなたはわたしが復活したことを信じられないそうだが、この傷に指を突っ込まなければ信じないというのならそうしなさいと言われました。主イエスはトマスを思いやっておられます。この思いやりの言葉は私たちにも慰めの言葉です。

2022年4月24日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.17 平和があるように

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

                      ヨハネによる福音書 第20章19節

 

 今日も復活された主イエス・キリストを覚えたいと思います。

主イエス・キリストが復活された日の夕方、弟子たちがユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて家の中に閉じこもっていたところ、そこへ復活された主イエスが入って来られ、真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。

「平和があるように」。この言葉はヘブル語で「シャローム」と言い、平和、健全、安寧、繁栄という豊富な意味が含まれた言葉です。日常のあいさつに使われた言葉です。でも、主イエスがここでこの言葉を使われたのは、ただ挨拶の意味だけではなく、その言葉の示す「平和」が本当にあるようにとの祝福する意味で使われたと思われます。

それは、彼ら弟子たちが、女性の弟子たちの言う「主を見た」との証言が信じられず恐れていたからです。恐れる彼らに本当の平和を与えようとされたのです。この「平和」を与えるという約束は主イエスが十字架にかかられる前夜、最後の晩餐の席で語られた言葉でした。主イエスの両手と脇腹の御傷を見せられたとき、彼らは喜びに変わり平和を得た

2022年4月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.16 あの方は復活なさった

 

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 

                       マルコによる福音書 第16章6節

 

 今日は主イエス・キリストの復活を喜びお祝いするイースターです。十字架にかかられて死なれた主イエスが、神の全能の御力によって復活されたのです。

人は必ず死にます。死んだら葬られます。主イエスも十字架刑に処せられて確かに死なれ墓に葬られました。ですから女性の弟子たちは主イエスのためにできることは今一度ご遺体に香料を塗って差し上げることくらいと思い、週の初めの朝早くその墓に近づいたのです。その墓に行ったらそこには主イエスの体がなかったのです。そこにいた青年から、

「あの方は復活なさって、ここにおられない」と告げられました。さらに弟子たちとペトロに「あの方はあなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と伝言するように命じられたのです。しかし、彼女たちには、この青年の伝える主イエスの復活を信じられず、恐れて墓を出て逃げ去りました。全く受け止められなかったのです。

しかし彼女たちは恐れて墓を出て弟子たちに伝えて行く中で、主イエスの復活の事実に励まされ、その事実を私たちにも語りかけるのです。

2022年4月10日 礼拝説教要旨

 

きょうどう-2022年 No.15 御心が行われますように

こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 

                       マルコによる福音書 第14章36節

 

 主イエス・キリストの御苦しみを覚える受難週に入りました。主イエスと弟子たちはエルサレムに入城され、木曜の夕、一緒に過越の食事をされた後、彼らは神を賛美しながら、ゲッセマネという所に行かれ、主イエスは祈りの時を持たれました。そこで、主イエスはひどく恐れてもだえ始められました。深い不安の中で悩み苦しみ始められたのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい。」そう語り、伴っていた3人の弟子たちに祈りを求めました。主イエスは少し進んで行き、地面にひれ伏し、できることならこの苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られたのです。

これまで主イエスはどんな時にも気丈にふるまわれたのに、今は打って変わり弱々しく恐れ深い苦しみの中で、この苦しみの時、すなわち、人間の罪ゆえに神から下される神の裁きを自分が負うことを思い、それが自分から過ぎ去ることを祈られます。「しかし…御心に適うことが行われますように」と祈られました。この霊的な葛藤を経験する中、ついにご自分が神の裁きを受けることを御心と受け入れ進んで行かれます。

 

2022年4月3日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.14 仕えるキリスト

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

                      マルコによる福音書 第10章45節

 

 主イエスは毅然とした態度で都エルサレムに向かっておられました。その姿に驚く弟子たちに、再びご自分の身に起ころうとしていることを話し始められました。宗教指導者たちに引き渡され、死刑を宣告される。異邦人から侮辱され、殺されると、具体的に予告されたのです。

それでも、受け止めることができない弟子たちに「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と説明されました。

「身代金」は、例えば外国人に何かの事情で身を売って奴隷になったへブル人を買い戻す時の条件として支払う代金です。奴隷となっているその人には、奴隷のままなら自由はない。でも身代金が支払われるなら自由と解放がある。そのように、私たち人間も、神の前に罪を犯してしまっていて、その罪の報いを払わなければならないのです。そのままなら神から裁かれます。しかし、神はそんな私たちを見捨てられず、この主イエスを送られたのです。この主イエスが、私たち人間を償うために、私たちの身代わりにご自分の命をささげて神のさばきを引き受けてくださったのです。この主イエスの払ってくださる愛と犠牲によって私たちは救われたのです。このお方の愛と犠牲を覚えて仕えていこう。

2022年3月20日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.12 苦難の主キリスト

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 

               マルコによる福音書 第8章31節

 

 フィリポ・カイサリアの地に主イエスと弟子たちが行かれた時のことです。主イエスは弟子たちに、「わたしを何者だと言うか」と尋ねられた時、弟子ペトロが代表して「あなたはメシアです」と告白しました。その時から主イエスはご自分の本心を打ち明ける時が来たかのように、ご自分のこれからの進むべき歩みをお教えになりました。

ご自分が必ず多くの苦しみを受け、宗教指導者たちから排斥されて殺されるが、三日の後に復活することになっていることが、神から与えられた進むべき道だと語られたのです。しかし、それをペトロは全く受け入れられません。主イエスをわきにお連れし、いさめ始めました。すると、主イエスは激しくペトロを叱り付け、「サタン、引き下がれ」と言い放ちました。ペトロの思いが、主イエスに政治的な王となって、イスラエルを回復させてほしいという願いであることを主イエスは見抜かれ、その誘惑を断固として退けられたのです。それは、多くの苦しみを受け、苦難の道に進むことが神のご計画であり、人間を罪から救い出すためにご自身がその苦難を受けようとされていたからです。

2022年3月13日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.11 主イエスの御力の源

同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
                      マルコによる福音書 第3章26節

 

主イエスは人々に神の国が近づいたと教えられ、御業をなさっておられました。家に戻られても、大勢の人たちが主イエスのもとに集まって来たら、そこでも応じられ、主イエスも弟子たちも食事をする暇もないほどでした。その姿を見た人々が「あの男は気が変になっている」と言うのを聞きつけた、身内の人たち(主イエスの家族や親族)は心配して主イエスを取り押さえに来たのでした。

エルサレムから、辺境のガラテヤでのイエスのうわさを聞いた律法学者たちがやってきて、イエスのなさっていることが、律法学者たちの信仰の常識をはみ出した行動なので止めさせようとしたのです。イエスがなさっている御業は認めざるを得ないが、それを神の業とは認めず、悪霊の頭の力で悪霊を追い出していると決めつけ非難したのです。
それに対して、主イエスは、ご自分の働きは、明らかに神の御業であることを明らかに知らせそうとされました。

もしわたしがサタンの力で悪霊を追い出しているのなら、サタンがサタンを押し出すという内輪もめであり、それは成り立たない。わたしは強い力を持つサタンに縛り上げている人間を、もっと強い者であるわたしがサタンの家に押し入って人間を救い出しているのだと語られました

2022年3月6日 礼拝説教要旨

 

きょうどう-2022年 No.10 荒れ野の誘惑

イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」

        マルコによる福音書 第1章13節

 

 教会の暦で「受難節」に入りました。主イエスが荒れ野で苦難に遭われたのが40日間であったことに合わせて、イースター(復活祝日)までの40日間を受難節と呼んで、主イエス・キリストの御苦しみと十字架の死を思い起こし、その苦難によって与えられた私たちの救いと愛を覚えて、信仰を新たにするのです。

今日は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられた箇所です。主イエスは霊に送り出されて荒れ野に40日間とどまり、サタンから誘惑を受けられました。サタン。神とその民に敵対する存在が、荒れ野で、主イエスを誘惑してきたのです。この誘惑者の巧妙な誘惑は人間を打ち負かせてしまいます。主イエスが荒れ野で誘惑を受けられたとき、その間、野獣と一緒におられたのです。荒れ野には獅子や狼など野獣が生きていて獲物を求めて動き回っていたでしょう。しかし、主イエスはこの荒れ野で野獣に襲われることなく、共に過ごしていたのです。神に守られていたのです。しかも、天使が主イエスのそばにいて、主イエスを力づけたのです。私たちも、この世という荒れ野で様々な誘惑があり、その中で揺れ動かされていますが、主イエスが私たちを守っていてくださいます。

2022年2月27日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.9 権威ある新しい教え

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」   

  マルコによる福音書 第1章27節

 

 主イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖の北西岸のカファルナウムという町に行かれ、安息日に会堂に入って教えられました。その語られる教えに人々は非常に驚いたのです。それは、権威ある者としてお教えになったからです。当時の律法学者は、自分の取得した知識を、伝統的な解釈によって淡々と教えていたのですが、主イエスの語られる教えは、権威に満ちていたのです。理屈や知識を超えて、生きた現実の言葉でした。父なる神から示されて神の御心をそのまま語られたのです。その教えに、人々は驚き、圧倒され、恐れすら感じたのです。

主イエスが教えておられたとき、その会堂にいた汚れた霊に取りつかれた男が主イエスに向かって叫び、主イエスの教えるのを妨害したのです。それに対して、主イエスは「黙れ。この人から出ていけ」とお叱りになりました。すると、主イエスの言葉によって汚れた霊がその人から出て行ったのです。この光景を見た人々は皆もっと驚きました。この方が汚れた霊に命じると、その通りにその人から出て行ったからです。主イエスの教えは、汚れた霊をも追い出すほどの力ある教えだと明らかにされたのです。このお方の権威と力は私たちをも救ってくださいます。

2022年2月20日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.8 主イエスの招き

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 

  マルコによる福音書 第1章17節

主イエスはガリラヤで人々に福音を宣べ伝えられたとき、まず、弟子を招き寄せられることから始められました。主イエスが人々を招かれ、その声を聞いて主イエスのあとに従い、神の国に迎えられました。
主イエスはご自分の方から、人々の生活している場所に出かけていかれ、その様子をよくご覧になりました。最初に弟子となったシモンとその兄弟アンデレは漁師であり、ガリラヤ湖のほとりで漁をしていました。その彼らの仕事の様子を主イエスはご覧になって、彼らに近づいて、呼びかけられました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」。主イエスの方から、わたしの後について来るように招かれました。そして、「人間をとる漁師にしよう」と言われました。これは、あなたがたをこれからは人間をすなどる漁師にするという主イエスの強い意志です。主イエスは人間をとる漁師であられます。人間を神のもとに連れ戻す伝道の働きをしておられます。その働きに、あなたをも弟子として携わらせると言われたのです。あなたがたも一緒に神の国の福音を宣べ伝えさせると。
この権威に満ちた力強い招きを受けた彼らは、主イエスの招きのことばをそのまま受け入れすぐに従いました。主は今も招いておられます。