2020年1月1日 元旦礼拝 説教要旨

 宣教の始まり

三好晴夫 牧師

マタイによる福音書 第4章12-25節

 

 

主題聖句: そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

 

マタイによる福音書 第4章17節

 

新年の始めにマタイによる福音書4章12節~22節を、神様が私たちに与えられた御言葉としてこの御言葉の恵みを覚えたい。

 

宣教は、主イエスが公に救い主として福音を宣べ伝えたことによって始まりました。そのきっかけは洗礼者ヨハネが捕えられたことを主イエスが聞かれ、ガリラヤに退かれたことでした。ヨハネの力強い伝道は終わたので、主イエスは神の導きと確信しガリラヤに進んで行かれたのです。ナザレから離れて、主イエスはガリラヤのカファルナウムに来て住まわれたのです。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現すためであったのです。

 

その預言には、異邦人が多く住むガリラヤで「暗闇の住む民は光を見る」とありました。光を失い、希望もなく、絶望的な暗闇のような状態にある人々が真の光を見るのです。その預言どおりに主イエスがガリラヤ地域に光として現れ、そこに光を照らされたのです。

 

主イエスの宣教は、「天の国が近づいた」との宣言です。神様の国、すなわち、神のご支配がイエスという神の御子によって近づいているのです。イエスと共に神が近づいています。だから、「悔い改めよ」です。自分の内にある罪を認め、神様に向いて神様を認めなさいというのです。今も主イエスは私たちに呼びかけておられます。神の支配は主イエスによって近づいています。この方に心を向け神様に立ち返りましょう。

2019年12月29日 礼拝説教要旨

心からの献げもの

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章1-12節

 

主題聖句: 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。      

 

マタイによる福音書 第2章11節

 

クリスマスは、プレゼントの季節です。プレゼントは、愛する者が相手に贈るものです。プレゼントというと、いただくものという思いがあるかもしれませんが、今日は、人に差し上げることについて考えてみたいと思います。相手にプレゼントを準備してそれを贈ることだけでもうれしいことですが、東方の博士たちのようにイエスさまに贈り物を献げることを考えてみたいと思います。私たちは、主に何をささげているでしょうか。この1年に与えられた主の祝福を覚える時、神様にどんな感謝をささげたらよいでしょうか。そのことを思いつつ、東方の博士の献げものについて学びたいと思います。

 

東方の博士たちは、東方で星を調べるうちに、特別に輝く星を見つけ、調べるうちに、この星がユダヤ人の新しい王が生れたことを知らせる星であると確信したのです。そうとわかって彼らは、新しい王にぜひとも会いたいと行動を始め、はるばるエルサレムに来ました。彼らはユダヤの王ヘロデに、その王はどこにいるかを尋ねましたら、聖書学者が示したのが、ベツレヘムでした。彼ら博士は、神のお導き、星と聖書に導かれて、遂に幼子イエスのいる家に着きました。彼らは幼子を見てひれ伏し拝み、自分たちの贈り物をささげました。彼らに倣い、私たちも主イエス・キリストを信じ、心からの献げものをささげましょう。

2019年12月22日 礼拝説教要旨

 言は肉となって

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第1章1-14節

 

 

主題聖句:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

            ヨハネによる福音書 第1章14節

 

クリスマスの出来事、すなわち、救い主イエス様がお生れになったということは、ヨハネによる福音書を書いたヨハネによれば、「言が肉となって、私たちの間に宿られた」ことだと言うのです。

 

 

「言は肉となって」。「言」とは何を示しているのでしょうか。それを知る手がかりは1章1節にあります。「初めに言があった」。神が天地を創造された初めの時、「言」であるお方はすでに存在していたということです。創造されたとき、神は「光あれ」と命じて、光を造られました。そのように言葉を持って創造されました。ですから、「言」は神の御意志、神の御思いを示しています。「言は神と共にあった」。言は御父なる神と最も近い関係にあるのです。「言は神であった」。イエスが地上においでになる前に神と共におられ、神であられたお方です。このお方が人に命を与え、人々に光をもたらしたのです。

 

 

このように言であられるお方、天地万物を創造される前から存在しておられたお方、創造の業に関わられたお方が、歴史のある時、肉となられたのです。人間と同じ性質を持つものとなられたのです。これは、驚くべきことです。闇の中にあって神を知らなかった私たち人間を、何としても愛されたゆえに、表わされた神の恵みの御業です。

 

そして、「私たちの間に宿られた」。言であるお方、すなわち、神の御子イエスは人となって、私たちの間に住み込んで共に歩まれたのです。

2019年12月15日 礼拝説教要旨

この子の名はヨハネ

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第1章57-66節

主題聖句:すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始
めた。

 ルカによる福音書 第1章64節

 今日待降節第二主日の主題は、神の御告げを受けて、子どもの誕生を待ち望んで祝福された老夫婦の信仰に学ぶことです。
ヘロデ王がユダヤの王であった時代。ユダヤの祭司ザカリヤが神殿で神に仕えていたその最中、天使が現れ、妻が子を産む、その子をヨハネと名付けよ、その子は救い主と先駆けとなると告げられたのです。でも、ザカリヤはその知らせを全く信じられず、しるしを求めました。それで彼は口が利けなくなり、話すことができなくなりました。
口が利けなくなったまま彼は神に仕えた後、家に帰りました。その後、妻エリサベトは身ごもりました。そして月が満ちた時、その子が生れ、8日目に神の選びの民であるしるしとしての割礼を受けることになり、名前を付ける時となりました。
ユダヤの慣例では親族の中にある名がつけられることが多かったのです。しかし、母親のエリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければならない」ときっぱりと答えたのです。それで人々が困ってしまい、子の名づけの最終的権限を持つ父親ザカリヤに聞くと、なんと「ヨハネ」と答えたのでした。すると、ザカリヤは、たちどころに口が開け、舌がほどけ、物が言えるようになって、神を賛美し始めたのです。どうして彼の口から賛美が出て来たのか、それは、神様が自分たちをあわれみ、赦してくださったことへの感謝と喜びが溢れたからではないでしょうか。

2019年12月8日 礼拝説教要旨

 主の道をまっすぐにせよ

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第1章19-28節

 

主題聖句: ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

ヨハネによる福音書 第1章23節

 

今日待降節第二主日の主題は、洗礼者ヨハネの証言を聞くことです。

 

洗礼者ヨハネが現れたのは、主イエスが公に救い主としての働きをする少し前でした。マルコ福音書1章によると、ヨハネが荒野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたところ、そのメッセージを聞いた人々は、次々と自らの罪を告白し、ヨルダン川で彼から悔い改めの洗礼を受けて行ったのです。そのことにただならぬ不穏な状態を感じた、エルサレムのユダヤ人指導者たちは、祭祀やレビ人を送ってヨハネに問いただしたのです。「あなたはどなたですか」と。

 

ヨハネは公言して隠さず「わたしはメシアではない」と言い表したのです。絶対にそういう者ではないと打ち消したのです。それでは「何ですか、あなたはエリヤですか。あなたはあの預言者ですか」と尋ねてきたのですが、ヨハネは「違う」と否認しました。それで、彼らは少し安心したようですが、「それではいったい、だれなのです。あなたは自分を何だと言うのですか」と聞いてきました。それでヨハネがした答えが、上記のみ言葉でした。「わたしは、荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」 王が地方に出かける時、先駆けが前もって出かけて行って王を迎える備えを指示するように、ヨハネは救い主が来られるにあたり、人々に救い主を迎える備えを呼びかけるのだと言う。

2019年12月1日 礼拝説教要旨

 神は王となられる

 

三好 晴夫 牧師

 

イザヤ書  第52章1-10節

 

 主題聖句:歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

イザヤ書 第52章9節

 

2千年前、ユダヤのベツレヘムでお生れになられた救い主の誕生は、何の前触れもなく、突然に起こったのではありませんでした。旧約の昔の時代から預言者たちによって救い主の到来は預言されていたのでした。その預言の実現を待ち望んでいた人々のもとに救い主がお生れになったのです。彼らの待ち望む姿に見倣って、私たちも救い主の御降誕を心新たに喜び迎えたいのです。

 

今日は、待降節第一主日として、イザヤ書52章を読みます。その時代のイスラエルの民は、自国をバビロン帝国によって滅ぼされ、バビロンの地で捕囚の民として、絶望と苦難の中にありました。その彼らに、大いなる希望が預言されたのです。自国が滅ぼされていたイスラエルの民に、再び故国に帰ることができるようになると預言されたのです。

 

それだけでなく、神が彼らに大いなる御業をなさることが告げられたのです。彼らが救われるというのです。「主がシオンに帰られる」。彼らの犯した罪のゆえに裁かれ、神からも見捨てられていたが、彼らのところに神が帰って来てくださるのです。「主はその民を慰め、エルサレムを贖われた」。主が、その憐れみによって神が代価を払って罪から彼らを救い出してくださるのです。そのために苦難のしもべが現れ、そのしもべが犠牲となって多くの人々を救われるのです。何と驚くべき救いの預言でしょうか。この預言がキリストにおいて実現したのです。

2019年11月24日 礼拝説教要旨

 まことの神を知る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第17章16-34節

 

 

主題聖句:これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。

           使徒言行録 第17章27節

 日本は四季折々に自然が美しく、住みやすい国と言われます。津々浦々に神社もお寺も多くある、信仰心のあついお国柄です。しかし、その日本人の多くは、キリスト教の神、聖書の示す神について、あまりよく知らないのではないでしょうか。そういうキリスト教とは縁遠い人々に、まことの神をお知らせするにはどうしたらよいのでしょうか。

 

その意味で参考になるのが、同じように聖書の神を全く知らないギリシアのアテネの人々に、パウロがどのように伝えたかということです。それが今日の聖書箇所です。

 

パウロは、アテネの町に建てられていた「知られざる神に」という祭壇を見付け、知らないゆえにその神を粗末にしているかもしれないと恐れて、そういう祭壇を建てるほどに、アテネの人は信仰の熱心な人たちとに認めて、その上で、知らないで拝んでいる神を知らせましょうということから、パウロは、その神を、聖書の示す神を紹介したのです。

 

その神は、世界とその中の万物を造られた神であり、天地の主です。すべての人に命と息とその他すべてのものを与えられる方です。神は一人の人からすべての民族を造りだして地上に住まわせて支えておられます。そのような秩序があるのは、背後に創造主なる神がおられ、配慮しておられるからです。謙虚に目を向けると神の存在を感じるはずです。

2019年11月17日 礼拝説教要旨

 テサロニケ、ベレア伝道

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第17章1-15節

 

主題聖句:パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、

           使徒言行録 第17章2節

 キリストの福音を伝えていく働きは、昔も今も容易ではありません。人々は聖書にも信仰にも関心がなく、また宗教に対する警戒心も持っているからです。それゆえ、分かってもらえない、聞いてもらえないとあきらめてしまいやすいですが、神様の愛を覚えてその方々が救われるようにと祈りつつ、準備をしていきたいものです。パウロたちの伝道も苦労の多かったようです。その様子から励ましを受けたいと思います。

 

パウロ一行は、テサロニケの町に入ったら、そこにユダヤ人の会堂を見つけました。すると、まず会堂で、集まっていた人に向けて、聖書の言葉に基づいて語ったのです。旧約聖書に書いてある、メシア(キリスト)は必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっているという預言を説明し、この預言に当てはまる人物がナザレのイエスではないかと語ったのです。このイエスが預言通りに、十字架に付けられ、苦しめられたが、死より復活されたのです。このイエスを救い主と伝えたのです。その結果、多くの人々がパウロの語るキリストの福音に心開き、信じて従いました。

 

この福音の言葉に対して関心を持たないで心かたくなになり、反発するユダヤ人もあり、彼らは人々を巻き込んで、町の当局者に告発したのです。そういう中でもキリストの福音を信じ伝えて行ったのです。

2019年11月10日 礼拝説教要旨

 キリストの名によって

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第16章16-24節

 

 

主題聖句:パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。

使徒言行録 第16章18節

本日の聖書箇所には、伝道者の働きが、占いを重んじる異教社会に影響を与え、思わぬ迫害を受けることもあったが、その中も不思議な救いの働きもあったことが記されています。

 

パウロたち一行はなおもフィリピに留まり、福音を伝えていた時、祈りの場所に行っている途中、占いの霊に取りつかれた女奴隷に出会いました。占いをして主人たちに多くの利益を得させていました。その彼女がパウロと一行たちの後ろについて来て、「この人たちはいと高き神の僕で、みなさんに救いの道を宣べ伝えています」と叫んだのです。しかも彼女はこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかね、ついに振り向いて彼女の内に宿る霊に向かってはっきりと言ったのです。「主イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と。主イエス御自身、悪霊を追い出されました。パウロも、主イエス・キリストの力と権威によって同じことをすることができたのです。すると、霊は彼女から出て行ったのです。

 

しかし、彼女を使っていた主人たちは、金もうけの望みがなくなったことを知って、パウロとシラスを捕えて、高官に彼らを裁くように訴えたのです。しかも高官は彼らを鞭打ち牢獄に閉じ込めたのです。そんな中でも真夜中二人は賛美し神に祈っていた。これが次につながります。

2019年11月3日 礼拝説教要旨

 主は心を開かれる

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第16章11-15節

 

 

主題聖句:ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。

使徒言行録 第16章14節

 

人が信仰の道に入るのは、様々な出会いや色んな出来事があってのようです。そのきっかけから聖書を読んだり、聖書の言葉を聞いたりするうちに心が開かれることが起こるようです。それは、そう導かれる神様の御力によって信仰に導かれるのです。

 

今日の箇所に、まことの神への信仰に導かれた一人の婦人のことが記されています。その人は、リディアという婦人です。その人が、神をあがめる人であったようです。この神をあがめるという言い方は、正式にユダヤ教に改宗してはいないけれども、ユダヤ人の会堂に出席し、ユダヤ教の唯一の神を信じ、礼拝する人ということを示していました。この婦人は、以前からユダヤ人の信仰に関心を持って、聖書の教えを学んでいたのかもしれません。

 

その婦人が川岸で持たれていた祈りの場所に出席してしたところ、その時、パウロたちも、マケドニア伝道が主から受けた使命と思ってフィリピに来ており、この集会において、パウロが、主の福音を語ったのです。彼女も他の人達と一緒に、そのパウロの語る福音を聞いていたところ、主が彼女の心を開かれたので、主の福音に心を留めたのです。主が聖霊によって彼女の心を開かれたので、彼女は主の福音に関心を持ち、信じたのです。聖霊は私たちの心をも開かれ信仰へと導かれるのです。