2022年3月20日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.12 苦難の主キリスト

それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 

               マルコによる福音書 第8章31節

 

 フィリポ・カイサリアの地に主イエスと弟子たちが行かれた時のことです。主イエスは弟子たちに、「わたしを何者だと言うか」と尋ねられた時、弟子ペトロが代表して「あなたはメシアです」と告白しました。その時から主イエスはご自分の本心を打ち明ける時が来たかのように、ご自分のこれからの進むべき歩みをお教えになりました。

ご自分が必ず多くの苦しみを受け、宗教指導者たちから排斥されて殺されるが、三日の後に復活することになっていることが、神から与えられた進むべき道だと語られたのです。しかし、それをペトロは全く受け入れられません。主イエスをわきにお連れし、いさめ始めました。すると、主イエスは激しくペトロを叱り付け、「サタン、引き下がれ」と言い放ちました。ペトロの思いが、主イエスに政治的な王となって、イスラエルを回復させてほしいという願いであることを主イエスは見抜かれ、その誘惑を断固として退けられたのです。それは、多くの苦しみを受け、苦難の道に進むことが神のご計画であり、人間を罪から救い出すためにご自身がその苦難を受けようとされていたからです。

2022年3月13日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.11 主イエスの御力の源

同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
                      マルコによる福音書 第3章26節

 

主イエスは人々に神の国が近づいたと教えられ、御業をなさっておられました。家に戻られても、大勢の人たちが主イエスのもとに集まって来たら、そこでも応じられ、主イエスも弟子たちも食事をする暇もないほどでした。その姿を見た人々が「あの男は気が変になっている」と言うのを聞きつけた、身内の人たち(主イエスの家族や親族)は心配して主イエスを取り押さえに来たのでした。

エルサレムから、辺境のガラテヤでのイエスのうわさを聞いた律法学者たちがやってきて、イエスのなさっていることが、律法学者たちの信仰の常識をはみ出した行動なので止めさせようとしたのです。イエスがなさっている御業は認めざるを得ないが、それを神の業とは認めず、悪霊の頭の力で悪霊を追い出していると決めつけ非難したのです。
それに対して、主イエスは、ご自分の働きは、明らかに神の御業であることを明らかに知らせそうとされました。

もしわたしがサタンの力で悪霊を追い出しているのなら、サタンがサタンを押し出すという内輪もめであり、それは成り立たない。わたしは強い力を持つサタンに縛り上げている人間を、もっと強い者であるわたしがサタンの家に押し入って人間を救い出しているのだと語られました

2022年3月6日 礼拝説教要旨

 

きょうどう-2022年 No.10 荒れ野の誘惑

イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」

        マルコによる福音書 第1章13節

 

 教会の暦で「受難節」に入りました。主イエスが荒れ野で苦難に遭われたのが40日間であったことに合わせて、イースター(復活祝日)までの40日間を受難節と呼んで、主イエス・キリストの御苦しみと十字架の死を思い起こし、その苦難によって与えられた私たちの救いと愛を覚えて、信仰を新たにするのです。

今日は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられた箇所です。主イエスは霊に送り出されて荒れ野に40日間とどまり、サタンから誘惑を受けられました。サタン。神とその民に敵対する存在が、荒れ野で、主イエスを誘惑してきたのです。この誘惑者の巧妙な誘惑は人間を打ち負かせてしまいます。主イエスが荒れ野で誘惑を受けられたとき、その間、野獣と一緒におられたのです。荒れ野には獅子や狼など野獣が生きていて獲物を求めて動き回っていたでしょう。しかし、主イエスはこの荒れ野で野獣に襲われることなく、共に過ごしていたのです。神に守られていたのです。しかも、天使が主イエスのそばにいて、主イエスを力づけたのです。私たちも、この世という荒れ野で様々な誘惑があり、その中で揺れ動かされていますが、主イエスが私たちを守っていてくださいます。

2022年2月27日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.9 権威ある新しい教え

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」   

  マルコによる福音書 第1章27節

 

 主イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖の北西岸のカファルナウムという町に行かれ、安息日に会堂に入って教えられました。その語られる教えに人々は非常に驚いたのです。それは、権威ある者としてお教えになったからです。当時の律法学者は、自分の取得した知識を、伝統的な解釈によって淡々と教えていたのですが、主イエスの語られる教えは、権威に満ちていたのです。理屈や知識を超えて、生きた現実の言葉でした。父なる神から示されて神の御心をそのまま語られたのです。その教えに、人々は驚き、圧倒され、恐れすら感じたのです。

主イエスが教えておられたとき、その会堂にいた汚れた霊に取りつかれた男が主イエスに向かって叫び、主イエスの教えるのを妨害したのです。それに対して、主イエスは「黙れ。この人から出ていけ」とお叱りになりました。すると、主イエスの言葉によって汚れた霊がその人から出て行ったのです。この光景を見た人々は皆もっと驚きました。この方が汚れた霊に命じると、その通りにその人から出て行ったからです。主イエスの教えは、汚れた霊をも追い出すほどの力ある教えだと明らかにされたのです。このお方の権威と力は私たちをも救ってくださいます。