投稿者: matsuyama-allian
2022年4月10日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.15 御心が行われますように
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
マルコによる福音書 第14章36節
主イエス・キリストの御苦しみを覚える受難週に入りました。主イエスと弟子たちはエルサレムに入城され、木曜の夕、一緒に過越の食事をされた後、彼らは神を賛美しながら、ゲッセマネという所に行かれ、主イエスは祈りの時を持たれました。そこで、主イエスはひどく恐れてもだえ始められました。深い不安の中で悩み苦しみ始められたのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい。」そう語り、伴っていた3人の弟子たちに祈りを求めました。主イエスは少し進んで行き、地面にひれ伏し、できることならこの苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られたのです。
これまで主イエスはどんな時にも気丈にふるまわれたのに、今は打って変わり弱々しく恐れ深い苦しみの中で、この苦しみの時、すなわち、人間の罪ゆえに神から下される神の裁きを自分が負うことを思い、それが自分から過ぎ去ることを祈られます。「しかし…御心に適うことが行われますように」と祈られました。この霊的な葛藤を経験する中、ついにご自分が神の裁きを受けることを御心と受け入れ進んで行かれます。
2022年4月3日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.14 仕えるキリスト
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書 第10章45節
主イエスは毅然とした態度で都エルサレムに向かっておられました。その姿に驚く弟子たちに、再びご自分の身に起ころうとしていることを話し始められました。宗教指導者たちに引き渡され、死刑を宣告される。異邦人から侮辱され、殺されると、具体的に予告されたのです。
それでも、受け止めることができない弟子たちに「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と説明されました。
「身代金」は、例えば外国人に何かの事情で身を売って奴隷になったへブル人を買い戻す時の条件として支払う代金です。奴隷となっているその人には、奴隷のままなら自由はない。でも身代金が支払われるなら自由と解放がある。そのように、私たち人間も、神の前に罪を犯してしまっていて、その罪の報いを払わなければならないのです。そのままなら神から裁かれます。しかし、神はそんな私たちを見捨てられず、この主イエスを送られたのです。この主イエスが、私たち人間を償うために、私たちの身代わりにご自分の命をささげて神のさばきを引き受けてくださったのです。この主イエスの払ってくださる愛と犠牲によって私たちは救われたのです。このお方の愛と犠牲を覚えて仕えていこう。
2022年3月27日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.13 栄光に輝くキリスト
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
マルコによる福音書 第9章7節
今日の箇所に示されている出来事は、大変神秘的な、まばゆいばかりの幻のような出来事です。これまでガリラヤ湖畔で人々に神の言葉を語られたり、病気の人を治してあげられたりと一日中汗水流して歩き回っておられた主イエスのお姿に比べると、違いが大きく、状況説明が難しいです。しかし、この光景を目撃した弟子のペトロたちには感激と感動があり、のちに主イエスが復活された後に、この時見た栄光に輝く主イエスのことを人々に語り伝えたのです。そのペトロたちの証言を福音書に記録し、この出来事が事実であることを伝えているのです。
高い山の上で主イエスが栄光に輝く姿に変えられたとき、モーセとエリヤが現れ、主イエスと語り合ったとあります。神の律法を代表するモーセ、預言者を代表するエリヤが、主イエスと何を語り合ったのでしょうか。ルカ19:31に「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」とあります。主イエスがエルサレムで十字架につけられ、人類の救いを成し遂げられるのです。この神の救いの御業が話し合われたのです。この時、雲の中から声がありました。この苦難の道に進まれる主イエスを受け入れるという父なる神の御声です。