投稿者: matsuyama-allian
2022年2月13日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.7 洗礼を受けた主イエス
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 マルコによる福音書 第1章9節
イエスとはどのような方でしょうか。福音書はイエスはどのような方なのか、どのようなことをなさったのかを伝えています。この福音書を読み味わい、イエスはどんな方なのかを知り、いのちをいただきたい。
今日の箇所では、イエスは、ヨハネから洗礼を受けられた方だと紹介しています。そのころ、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました。神のさばきの時が近づいた。まもなく来るべきメシアが来られて、裁かれる。自分の罪を赦していただくために自分の罪を悔い改めて洗礼を受けなさいとヨハネは厳しく語ったのです。
このメッセージを聞いた人々が恐れを感じ、ヨハネのもとに来て、自分の罪を告白しヨハネから洗礼を受けたのです。その集まる群れの中に主イエスも加わり、ヨハネから洗礼を受けられたのです。イエスは神の御子、罪を知らない方です。なのにイエスはどうして洗礼を受けられたのでしょうか。イエスが罪を犯されたからではありません。それは、イエスは罪を知らない方ですが、罪を抱き苦しむ人間の罪を自分が犯したように、その罪人の立場に立って自分の罪を告白しその罪を負われるためにです。罪に苦しむ人間を救うために洗礼を受けられたのです。
2022年2月6日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.6 岩の上に建てた家
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
マタイによる福音書 第7章24節
今日の箇所は、「山上の説教」の締めくくりのところです。これまでこの教えの中で、主イエスは、神を信じる人々が、神からどのような祝福を受けるのかを約束され、彼らに、地の塩、世の光という使命を託されました。旧約で教えられてきた律法(戒め)に対して、ご自身の言葉で、兄弟を裁かず、神の家族として彼らを愛しなさい。神は私たちをどう愛しておられるかを知って、愛しなさい。神は私たちを養っておられて、私たちの必要をご存じである。神のご支配を求めなさい。神は与えてくださると、主イエスは権威をもって語られました。
このように語られる主イエスの言葉を聞いて行う人になってほしいと願い、主イエスは、岩の上の家と砂の上の家のたとえを語られました。岩の上に建てられた家も、砂の上に建てられた家も、その時はその違いは見えません。しかし、先になって雨が降り洪水が起こったとき、土台がしっかりしていない家は崩れ、岩の上の家は洪水の中も揺れ動かされず守られます。人生に何かが起こったとき、世の終わりの裁きがあったとき、土台として、主イエスの語られた言葉を信じて生きているならば、私たちは守られるのです。主イエスの言葉を聞いて従いましょう。
2022年1月30日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.5 実によって見分けなさい
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
マタイによる福音書 第7章15節
これまで「山上の説教」において、神を信じる者がどのように生きるべきかが、教えられてきました。いよいよしめくくりに近づき、今日の箇所では、「偽預言者を警戒しなさい」と教えています。
偽預言者は、信仰者を装ってキリストを信じている顔をして来て、自分の考えを持ち出して、教会の人々を、キリストの教えに生きることから離れるように妨げていく教師です。彼らに気を付けなければなりません。旧約時代、預言者エレミヤが神の言葉を語ろうとした時、偽預言者は、エレミヤの語るのを妨げ、人々にとって本物らしいことを語って彼らを妨げ、エレミヤを苦しめました。パウロの時代にも、パウロの語る福音を妨げる教師たちが現れて、教会も惑わされた時がありました。今日も、キリストの言葉を退けて、神の教えから人々を離れさせることが起こらないとも限りません。私たちが、偽預言者になる可能性もあるかもしれません。
ではどう気を付けるかというと「実で彼らを見分ける」ことです。「良い木は良い実を結ぶ」。良い木であるキリストにつながって、キリストの愛を受けて、このお方を信じる信仰に生かされ、救われていることです。そういう実を私たちも結ばせていただきたいものです