2022年5月22日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.21  キリストのへりくだり

へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。                

フィリピの信徒への手紙 第2章8節

 

 教会が一つ思いとなるために、へりくだって、相手を思いやることを、パウロは、フィリピの教会の人々に対して勧めます。その際にこころがけるのは、へりくだることです。キリストのへりくだりの心を私たちが受け取ることなのです。

キリストはどのようにへりくだられたのでしょうか。パウロはそれを説明するにあたって、まずキリストはもともと どういうお方であられたかを記します。「キリストは、神の身分でありながら」とあるように本質において神と一つであられ、神と等しいお方であられたお方でした。キリストはこの神の身分に固執しようとは思われませんでした。かえって、自分を無にして、僕の身分になられたのです。神としての栄光・特権を捨てて人間となられたのです。全く人間と同じになられたのです。キリストは、自らを低くされて、十字架の死にまで従われました。私たち人間を罪の裁きから救い出すために、自ら人間の罪を身に受け、裁きを背負って死んでくださいました。このようにキリストが私たちのために低くなって十字架にまで従ってくださったことによって、私たちは救われました。救いを頂いた私たちもへりくだって、互いに仕え合って行きましょう。