投稿者: matsuyama-allian
2023年2月26日 礼拝説教要旨
きょうどう-2023年 No.9 荒れ野の試み
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。 ルカによる福音書第4章4節
教会の暦では、先週より「受難節」に入りました。4月9日のイースター(復活祝日)前日までの6週間、主イエス・キリストの御苦しみと十字架に向かって歩まれる道行を思い起こし、この方が成し遂げられた御業によって自らの罪が贖われたことを覚えて信仰を新たにする時です。
今日、受難節第一主日の箇所は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられたところです。主イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、聖霊が降り、天から「あなたはわたしの愛する子」という救い主と任命される声を聞き、救い主としての歩みが始まりました。そして向かったのが荒れ野でした。荒れた寂しい場所に向かったのは、霊に導かれてであったのでした。そこで、40日もの間、何も食べず過ごし主イエスは空腹を覚えられたのです。そのひどい空腹のとき、誘惑が来たのです。「あなたが神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」というのです。今の空腹を我慢せず、神の子なのだから、神に頼らず自分の力でその苦しみを取り除いたらどうだという鋭い誘惑です。
この誘惑に対して、主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と答えられました。この言葉は旧約聖書・申命記8章3節の言葉でした。イスラエルの民が荒野の40年の旅で天からの食べ物で養われたように、主イエスは神を信じその養いで生きると宣言された。
2023年2月19日 礼拝説教要旨
きょうどう-2023年 No.8 奇跡を行うキリスト
すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
ルカによる福音書第9章16節
主イエスのなさった、五千人以上の人々に食べ物を与えられた奇跡は、4つの福音書すべてに記されているほど、記憶に残る奇跡です。
きっかけは、伝道旅行から帰って来た弟子たちを休ませるために、主イエスが彼らを連れて人里離れた場所に行かれ、それを知った群衆が後を追って来たことでした。その群衆の姿をご覧になられた主イエスは、喜んで迎え、彼らに神の国のことを教え、治療の必要な人々を癒されたのでした。そうこうするうちに日が傾きかけたので、弟子たちは、そばに来て主イエスに「解散させてください。彼らは自分で宿をとり食べ物を見つけるでしょう。」と進言したのです。
ところが、主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と思いがけないことを言われたのです。この言葉に弟子たちは、きっと自分でどうしたらよいか、切実に考えたことでしょう。そうして、自分たちには、こんな大勢の人々に食べさせる食べ物がないことに気づいたのです。五つのパンと二匹の魚しかないと告げたのでした。
すると、主イエスは弟子たちに群衆に組になって座るように指示され、主はこのパンと魚を取り、天を仰いで祈り、裂いて弟子たちに渡して配らせたら皆が満腹したのです。主は人々を養ってくださる方です。
2023年2月12日 礼拝説教要旨
きょうどう-2023年 No.7 イエスのいやしのみわざ
イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。
ルカによる福音書第5章13節
いざ病気になってしまうと、何も考えられなくなり、しんどくなります。そうなった時、適切な医師の診断と治療を受けて、回復したということがあったでしょう。そうではなく、治りにくい病気にかかる場合もあります。不安を抱え、悩み続けていた時、家族や友人が心配して自分のことのように悩みを聞いてくれて、大きな慰めを受けたこともあったでしょう。そういう時こそ、私たちを造り、生かしてくださる神さまを覚えて、信じて助けを求めて祈ることができることは感謝なことです。
今日の箇所の重い皮膚病を患っていた人も、病気の故の苦しみや悩みを持っていたことでしょう。その病気は宗教的に汚れているとされ、人々から離れて宿営の外で生活をしなければなりませんでした。自分は汚れていると言って、人々を近づけないようにする規定に従わなければなりませんでした。その苦しみの中にあったこの人は、規定を破って自分からイエスに近づき、ひれ伏しきよめを求めました。「主よ、あなたのお心が私をきよくすると思ってくださるならば、あなたは私をきよくできます」と切にお願いしたのです。すると、その切実な願いにイエスは「わたしの心だ、きよくなれ」と彼をいやしてくださったのです。信じて願う時、イエスはその願いを聞いて助けてくださるお方なのです。