2022年10月2日(日)) 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.40 神の霊に導かれる者

 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

  ローマの信徒への手紙 第8章14節

 

イエス・キリストの現わされた救いを、この私のためになしていただいたと信じて歩み始めている私たちです。キリストの救いによって罪が赦され、戒めから解き放たれて生かされています。その恵みを恩に感じて感謝して歩み始めています。

「霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます」(13節)。

恵みに感謝し生きるためには、体の仕業を絶たなければなりません。体の仕業、すなわち、人間の持つ肉の欲望が私たちの体において生じて罪深い働きを大きく起こして、神様に従って生きることを弱め、妨げてしまうからです。実際の生活で、欲望のままに行動してしまいがちな私たちではないでしょうか。体の仕業を絶つことは難しいと思いますが、神の霊が助けてくださるのです。この霊によって絶つ時、私たちは生きるのです。

体の仕業を絶つように神の霊が私たちの内に宿って、働いてくださるのです。この霊が私たちを導かれるのです。その霊の導きに気づいているでしょうか。神の霊に一層導かれて神の子として歩むことを求めて生きたいものです。

私たちの内に宿ってくださっている神の霊は、恐れを抱かせる奴隷の霊ではなく、神の子としてくださる霊です。この霊によって「アッバ、父よ」と父なる神様に向かって親しみを込めて呼びかけることができるのです。

2022年9月25日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.39 御霊に従って歩む

 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。

ローマの信徒への手紙 第8章5節

 

私たち人間は、自分の内側に働く、悪の力に支配されていて、自分の願う善いことを行わないで、したくない悪を行ってしまう現実の中にありました。そんな状態の私たちを解放してくれたのが、聖霊の働きです。主イエスを信じた時、私たちの内に御霊が入って来てくださいました。聖霊が、私たちの内に宿って、罪と死との法則に対抗して新しい力を与えてくださるのです。

「肉に従って歩む」とは、生来の人間の欲望の思いのままに生きる姿です。肉に従って歩むとき、その人の考えはすべて肉に属することに向かってしまいます。この世の価値観や判断に自分をゆだねて、神に敵対し、神の言葉に従うことができなくなります。では、霊に従って歩むためには、どうしたらよいのでしょうか。自分の内に宿ってくださる聖霊を覚えて、み言葉に聞き従うことです。み言葉と共に御霊が私たちに働いてくださいます。み言葉に聞き従う時、御霊は私たちを明瞭に導かれます。「霊に従って歩む者は霊に属することを考えます」。御霊と同じ思いにしていただけるのです。「霊の思いは命と平和です」。キリストの命に生きるのです。

「神の霊があなたがたのうちに宿っているかぎり、あなたがたは、肉の内ではなく、霊の支配下にいます。」(9節)神の霊が私たちの内に宿って住まわれるだけでなく、霊の支配によって生活を導いてくださいます。

2022年9月18日(日) 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.38 生涯の日を正しく数える

生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。               詩編 90編12節

 

今朝は、召天者記念礼拝を持っています。「召天者」とは、生前イエス様を信じて救いをいただきながら、愛する家族と過ごし、ある時神様のお導きで天の神様のみもとに召された方々です。この方々を、今一度思い起こし感謝し、その生涯を導かれた神様に感謝をしたいと思います。

この方々を覚えることは、つらく悲しいことですが、その方が共に歩みその後、逝去されたという事実は、私たち人間の一生には限りがあり、いつか死を迎えるのだということを示しています。そのように人生に限りがあるのは、人間に問題がある、罪があってそれに対する神の裁きがあるということを、聖書は示しています。ですから、自分が必ず死ぬこと、神を畏れ敬い、救っていただかなければ、神の前に立ちえないものであることを深く覚えるべきなのです。

作者は、主なる神に救いを求めています。神の御子イエス・キリストは私たちを罪から救い出すために、ご自分の命を十字架につけて私たちの罪の罰を背負って死んでくださいました。死後、神の御力によって復活され、今も生きておられ、再び来ると約束されました。召天された方々は、人生のあるとき、この主イエスの救いを信じ、救われ、永遠の命を希望として歩み、平安に過ごされました。今主の御許で安らいでおられます。私たちも、主を信じ同じ救いを頂き、残された日々を大切に過ごしたいものです。

2022年9月11日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.35 命の霊の法則

従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。       ローマの信徒への手紙 第8章1節

 

ローマ7章の最後で、パウロは自分の中で、罪の力に脅かされて善を行えない自分に絶望し、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と叫びました。同時にイエス・キリストの救いのゆえに「神に感謝いたします」と叫びました。そして8章で、激しい戦いの後、クリスチャンの慰めに満ちた勝利を語り始めるのです。「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」(1節)

「従って」で始まっています。何かすでに理由が語られたうえで、「従って」と言っているのですが、何が理由だったのでしょうか。7章25節の後にこの1節を続けると、続き具合がおかしいのです。無理があります。でも、7章6節と続けて読むとつながりが自然です。「しかし、今は、わたしたちは自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。…従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」

私たちは、主イエス・キリストの十字架の救いを受け入れ、その死に合わせられて私たちも死んだのです。それゆえに律法から解放されています。従って、「罪に定められることはありません」。有罪判決を受けることはなく、一切の刑罰から解放されたのです。「命をもたらす霊」聖霊がキリスト・イエスにある命を私たちに与えて、私たちを生かすからです。