2022年11月13日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.46 神の愛の勝利

 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを

愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

          ローマの信徒への手紙 第8章37節    

 「わたしたちは…輝かしい勝利を収めています」。ここでパウロの語る勝利とはどのような勝利なのでしょうか。苦難のなかで、他者のために生き、かつ死ぬこと、自分を犠牲にし、他者に与えてしまう愛の勝利です。その愛の勝利は、主イエス・キリストの生涯とその御業に見られ、そして主イエスを信じる者の生涯にも見られる勝利です。

パウロの言う勝利は、「これらすべてのことにおいて」、すなわち、極めて困難な状況においての勝利です。35節にある「艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣」という厳しい苦難です。これらは、パウロが実際に体験していた苦難であり、今も体験している状況でした。

どんな状況か36節で詩編44編23節を引用して説明しています。この言葉は、イスラエルの民が周囲の民から攻撃を受けて苦しんでいるのは、主なる神のゆえに、一日中殺されていると苦難を訴えています。その言葉のように、パウロは、自分たちキリストを信じる者も今、主のために苦しんでいる。けれども、私たちはキリストの愛から決して引き離されることはない。それは、キリストが、私たちを愛し、ご自分を犠牲にして私たちを罪から救い出してくださったからです。このように私たちを愛してくださるお方によって私たちは勝利しているのです。

2022年11月6日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.45 神は私たちの味方

 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわ

たしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

          ローマの信徒への手紙 第8章31節       

 「神が私たちの味方である」。これが、神が私たちに与えてくださる救いの事実を示す言い方です。ですが、パウロは、「もし神がわたしたちの味方であるならば」と、何か控えめに、私たちに向けて、あなたは、もし神を自分の味方であると認めているならば、と問いかけています。

神が私たちの味方ではない場合が、あるのでしょうか。いいえ、神はいつも私たちの味方です。ですが、神が私たちの味方ではなかった時がありました。それは、どんな時かと言うと、神が私たちの味方でなかったのではなく、私たちが神の敵になっていた時です。私たちが、神を敵のように思って、神と闘っていた時です。そういう私たちでしたのに、神は御子をこの世に遣わして、私たち人間をその罪から救い出すために、私たちに対する罰を、御子に負わせて、この御子を裁いて、私たちを救い出してくださいました。神の方からこの御子キリストを犠牲にして神との和解を与えてくださいました。

だから、神は私たちの味方です。神が私たちと共にいてくださいます。だから、私たちを攻撃する者たちが襲って来ても、私たちは守られるのです。私たちを救うために御子を惜しまず死に渡された神が、御子と共にすべてのものを賜るほどに私たちを愛してくださっているからです。

 

 

2022年10月30日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.44 神のご計画

   神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

                         ローマの信徒への手紙 第8章28節 

このみ言葉によって、希望を持てるようになったと言う人は多いのではないでしょうか。信仰を持っている者には、すべてが共に働いて益となるというのです。何事も思うようにならない世の中です。一時は、とても辛くてどうしてこんなことが起こるのかと理解できず苦しんでいたが、今になって見ると、あのことも意味があって恵みであることが分かったということがあります。そう解釈することは、自分の身勝手な説明だと思う人もあるかもしれません。

この言葉は、自分にとって都合の良いように解釈できる言葉に思えるかもしれませんが、実は、そう思う人間にとって便利な話ではなく、全く反対のことが言われているのです。人間が考えて都合のよいことを神が成就されることを言っているのではなく、神の御心の変わらないこと、神には揺るぐことのないご計画があって、それを変えることなく貫かれるということが、このみ言葉に示されている信仰です。それだからこそ、一切のことが私たちにとって益となることを確信できるのです。

「神を愛する 」とは、愛してくださる神を信頼することです。それは、神に望みをおき、神の御計画に信頼することです。苦難の中にも神に望みを置く者に、神は万事が益となるように働いてくださるのです。

 

2022年10月23日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.43 聖霊のとりなし

  同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

                  ローマの信徒への手紙 第8章26節   

 御霊が弱い私たちを助けてくださるということは、信仰を持つ私たちにとってとてもありがたいことです。大変ありがたいことなのだと覚えておきたいのです。実は、私たちは弱いからです。この弱いと言う意味は、人間としての弱さ、肉体が弱くなり病気をするという弱さと共に、日々生きていく上で、なすべきことを知りつつも、行うことができない心の弱さ、信仰の弱さを持っている私たちです。本当は弱い者なのです。

パウロは非常に優れた信仰者ですが、よく自分の弱さを知っていた人です。彼は健康上の問題を抱えていましたので、それを除いていただきたいと祈ったのですが、その度に「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と神は答えられました。そこから彼は弱さをありがたく思うようになりました(Ⅱコリント12:5~9)。しかし、病気だけが弱さではありません。様々な弱さに悩むのです。ですから、私たちに信仰を与えてくださった御霊が弱さに苦しむ私たちを助けとなってくださることは大きな力です。

私たちはどう祈るべきかわからないものです。何が正しい祈りかわかりません。その私たちのために御霊がとりなしてくださることは感謝です。