2023年10月15日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.42 見えないものに目を注ぐ
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。 見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。        

                          コリントの信徒への手紙 二 第4章18節

パウロは、自分は見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐと言います。「見えるもの」とは、目に見える現実です。それらは過ぎ去るものです。世に生きる私たちは、その目に見えるものばかり目を注ぎやすいものです。そのために目に見えることばかり気になって不安になり、悩み苦しみます。信仰者も、そのような目に見える現実の解決を求めて祈っています。
パウロは、見えないものに目を注ぐと言いました。信仰の目をもって見えないものを求めるということです。それはどういうことかというと、目に見えないもの、すなわち、神ご自身であり、霊的真理であり、永遠の命であり、天の御国です。それらを求めるというのです。永遠に存続するからです。
目に見えない神様がおられて、このお方が私たちを愛し守っていてくださるからです。神の独り子イエス・キリストを通して私たちを救い、新しく生かしてくださるからです。私たちの罪を赦し、永遠の命に生かしてくださるからです。
ですから、私たちは目に見える現実の中に、目に見えるものばかりに目を留めるのではなく、目を永遠の神に注いでいくのです。

2023年10月8日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.41  恐れるな

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。              

マタイによる福音書 第10章26節

 

イエス様は「恐れるな(恐れることはない)」と3回(26、28、31節)語られました。私たちは色んなことに不安や恐れを感じて過ごしています。人の目を恐れて生活しています。しかし、イエス様は本当に恐れなければならないものを恐れる時には、人を恐れることはないと教えておられます。

恐れる必要のない理由の一つは、「弟子は師にまさるものではない」ことです。師匠であるイエス様がベルゼブル(悪魔の親分)と呼ばれているからには、その弟子が社会からひどい評価を受けるのは当然だとイエス様は言われます。イエス様はこの世で犯罪人として十字架に付けられ、その十字架によって私たちを救ってくださいました。そのイエス様の苦しみは私たちのためであったことを覚えて感謝すべきです。

恐れる必要のない第二の理由は、「覆われているもので現わされないものはない」ことです。この言葉は、陰でこそこそ行っていることはいつか露わになる意味でした。イエス様が教えられた意味は、人々から反対されたり誤解されながらも誠実に行っているなら、やがて明らかになって、分かってもらえる時が来るというのです。イエス様がひそかに弟子たち(私たち)に教えられたことを、その福音の力を信じ伝えよう。

2023年10月1日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.40  賢く、そして素直に

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。              

マタイによる福音書 第10章16節

 

イエス・キリストが十二人の弟子たちを、伝道に遣わすにあたって様々な注意を語られたのが、マタイによる福音書10章です。今日の箇所では、いずれ教会が見舞われる迫害に対して信仰の備えをするようにと警告がなされています。教会がこの世に遣わされるときに、迫害という困難な状況が予想されるのだということが教えられています。

まず心に留めておきたいことは、「わたしはあなたがたを遣わす」と主イエスが力強く言っておられることです。弟子たちだけでなく、主イエスを信じる私たちも主イエスから、この世に遣わされた者です。主イエスの恵み、主イエスのみ言葉を頂いて、この世に共にある家族、友人たちのところにあって、主イエスの愛と平和を伝える役目を持っています。そのために、礼拝に集い、み言葉の教えを受けて強められたいと願っています。それぞれに与えられている生活の場に、送り出してくださっている主を忘れないでいたいものです。

私たちの伝道は、狼の群れの中に弱い羊が入っていくようになされていきます。主イエスの救いを伝えようとするとき、反対を受けることが起こります。だから、迫害を良く見抜いて賢く行動し、そして心を純粋にして素直に自分の信じる信仰を語ればよいと教えられています。