2022年1月22日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.4  ふるさとのつまずき

 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。        

                              ルカによる福音書第4章24節

 

主イエスは、ふるさとの町ナザレの会堂で安息日礼拝に出席され、預言書朗読と説教を担当されました。イザヤ書60章1~2節を読まれた後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語られました。この「わたし」なる人物は、ご自分のことだと示されたのです。

人々は、主イエスの口から出る恵み深い言葉に驚きました。しかし、疑問に感じ、イエスに憤慨し、イエスを山の崖から突き落とそうとしました。折角の恵み深い説教が、聞いている人に何の実りももたらさなかったのです。どうしてそうなったのでしょうか。

ナザレの人々をつまずかせてしまったそのきっかけは22節の「この人はヨセフの子ではないか」という言葉です。

主イエスが恵み深い言葉を語った時、人々は慰めと恵みを覚え感激したのですが、ふと頭を冷やしてみると、イエスをそれほどの大人物とは思えなかったのです。この人はヨセフの子ではないかという疑問が湧いてきたのです。ナザレの人々は、イエスがよその町々では沢山の人を癒されたことに不満だったのです。そのような彼らの思いを見抜き「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われましたしかし主イエスはその中にも神の恵みを伝えられます。

 

 

 

2023年1月15日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.3  お言葉ですから

 すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」。

 ルカによる福音書第5章10節

 

上記の言葉は、シモン・ペトロに語られた主イエスの言葉です。この少し前に、ペトロは、沖に漕ぎ出して網を降ろして漁をしなさいという主イエスのお言葉を聞いて、「お言葉ですから」と漁をしたところ、想像を超えた大漁を経験したのです。その時、彼は、自分の前におられるイエスが、驚くべきお方、主であるとわかり、自分は罪深いを気づき、ひれ伏したのです。その恐れひれ伏すペトロに、主イエスが言われたのが、この言葉です。

私たち人間は、神のまことの光に照らされたら恐れるばかりです。自分の罪深さに気づかされたら、神の前に恐れるしかありません。イエスを恐れ、自分の罪深さに気づき、ひれ伏すペトロに、主イエスは「恐れることはない」と言われました。あなたの罪を赦すと宣言されました。その上で、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と、主イエスに従うように招かれたのです。彼はすべてを捨ててイエスに従い始めました。

イエスは、私たちの人生の中にも近づいて、イエスの言葉を語ってイエスとは誰なのかを示してくださいます。私たちをも赦してくださり、さらに主イエスのなさる働きの中に招いて下さるお方です。

 

 

 

2023年1月8日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.2  主イエスの洗礼

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。           

                              ルカによる福音書第3章22節

教会では、1月6日を公現日と呼んできました。元来1月6日はギリシャ系の東方教会でキリスト誕生の記念日、クリスマスとして祝われていたのですが、やがて、東西の教会の交流が深まるにつれて、キリストの誕生の祝日は12月25日になり、1月6日はイエスが洗礼を受けて聖霊が鳩のように天から降って神の子であることが証しされたことを記念する日となりました。神の子としての働きが公の舞台で明らかになったことを覚える時です。

「皇帝ティベリウスの治世の第15年」(ルカ3:1)西暦28年に洗礼者ヨハネがヨルダン川沿いの地方に現われ、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。その力強いメッセージを聞いた人々は心刺され、自分の罪を赦してもらいたい、洗礼を授けてもらおうとヨハネのもとに出てきました。そのように、ヨハネから洗礼を受けようと近づく人々の中に、イエスも加わって同じ洗礼を受けられたのです。イエスは、罪とかかわりもない方でしたが、罪に苦しみ赦されたいと願う人々の願いを、自分の願いとしてその罪を身に負って洗礼を受けられたのです。

その時、天から声がありました。「あなたはわたしの愛する子」と深い愛と信頼のこもった父なる神の言葉です。この声は私たちにも。