2023年11月19日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.47 真のいこいと安らぎ

 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 

                               マタイによる福音書 第11章29節

 

イエス様はすべての人々をご自身のもとに来るように招かれます。「疲れた者、重荷を負う者」にわたしのもとに来なさいと招きの声をかけられました。「だれでも」という言葉で始まっていて、どの人にも分け隔てなく提供されています。「疲れた者」とは苦しみ疲れている人のことです。「重荷を負っているもの」は誰かによって重荷を負わされている人たちです。

私たちは色んな重荷を負って疲れ果てています。色んな「重荷」の中でも、イエス様が注目しておられるのは、律法によって負わされる重荷です。イエス様の時代の宗教指導者が人々に押し付けていた、こまごまとしてわずらわしい厳格な律法のことで、人々はこの重荷に耐えられないほどに苦しんでいました。

イエス様は「(わたしが)休ませてあげます」と力強く言われました。イエス様の与える「休み」は解放する、まったき安息を与えるという意味です。イエス様が神の御子だからこそ与えてくださいます。

イエス様はご自分のことを「柔和で謙遜な者」と言われました。心優しく、へりくだったお方です。招いた人々に、イエス様自身がこの重荷をどのように負っているかその姿を見せ、一緒に負ってくださいます。

2023年11月12日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.46 嘆き悲しむ主イエス

それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。                                 マタイによる福音書 第11章20節

 

イエス様は、神様のみわざを見ても、神様の方に向き直らない私たちの姿をご覧になって深く嘆き悲しんでおられます。

今日の箇所で、イエス様は激しく厳しい言葉で、イエス様の数多くの奇跡を見たはずなのに、悔い改めようとしない者たちに、神様の裁きとして厳しい罰が与えられるのだと語っておられます。

20節以下に出てくる、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムの町はガリラヤ地方の町々です。これらの町々にイエス様は力強く福音を語られ、奇跡を行われました。病人をいやしたり、悪霊を追い出したり、死んでしまった人を生き返らせるという奇跡を行われました。しかし、その町の人々は、イエス様のみ言葉と御業をしっかり受け止めなかったのです。イエス様の奇跡に驚きはしました。イエス様の教えを聞くために集まって来ました。興味を持って集まり、聞いたり見たりして驚きました。しかし、彼らは悔い改めなかったのです。神様の方に向いて、自分の罪を認め、神様に赦しを乞う、ことにならなかったのです。

このように彼らの様子は、私たちの姿ではないでしょうか。私たちも神様によって生かされ、私たちの中にも神様の御業を行ってくださっているのに、神様の御業に気づかず、神様の言葉を聞かず、神様に向いていないものです。そんな私たちに、主はなおも愛を向けておられます。

2023年11月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.45 新しい時の始まり

 彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。

マタイによる福音書 第11章12節

 

洗礼者ヨハネが語ったメッセージは何でしょうか。「悔い改めなさい。今までの生き方から方向転換してこれから来られる救い主によってもたらされる天の国に入れる備えをしなさい」と語りました。

イエス様のメッセージは、「悔い改めなさい。天の国は近づいた」です。ヨハネとイエス様のメッセージは一緒です。違いはヨハネの務めは、救い主を紹介することであり、イエス様の務めは、十字架による救いを成し遂げることです。

洗礼者ヨハネが活動をし始めてから、天の国は力ずくで襲われているとはどういう意味でしょうか。この事をルカによる福音書16:16では「それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。」と表現されています。神の国がヨハネの宣教によって、イエス様によってこの世にやって来ているのです。イエス様の福音が力強く宣べ伝えられ、神の国は力強くこの世にやってきているのです。人々はヨハネの説教に出会い、メッセージを聞いて心動かされて、ヨハネのメッセージを信じ、神の国に入ったのです。

イエス様は十字架で命まで捨てて救いを与えようとされました。与えようとされる神の国を心から求めるようにイエス様は勧めておられます願う者は、それを