2011年11月13日 礼拝説教要旨

主題聖句「神は彼(エパフロディト)を憐れんでくださいました。彼だけでなくわたし(パウロ)をも憐れんで…」

フィリピの信徒への手紙第2章27節

説教主題  「広がってゆく喜び」

 牢屋のパウロの世話をしていたのは、テモテとエパフロディトでした。その当時、現在のように〝囚人であっても人権は尊重される〟ことはなく、面会のみならず、食物・着物の差し入れをすることや、場合によっては囚人の関係者が一緒にいて世話をすることも許されていたようです。官憲は「囚人の面倒まではみないよ」という考えだったのでしょう。

 そこで、フィリピの人たちはエパフロディトに贈り物を持たせ、パウロのもとに遣わします。エパフロディトが「自分の窮乏の時の奉仕者になってくれた」といってパウロは喜びます。

 ところが、エパフロディトの心身に無理が掛かったのか、重い病気になりました。フィリピの人たちの期待に添えないばかりか、助けに来たつもりがかえってパウロにも心配をかけ、足手まといのようになったのです。その情報がフィリピの人たちの耳に入ったようで、エパフロディトはますます心苦しくなります。心細くなり、里心がついて本心はフィリピに帰りたいのに、大手を振って帰れない状況になりました。

 何一咎め立てせずエパフロディトを迎えて欲しいとパウロはとりなします。単に「失敗をしたのを大目に見ろ!」というのではありません。神がエパフロディトをも自分(パウロ)をも憐れみ、罪を赦して下さったと証ししたかったのです。エパフロディトがひん死の病気から癒され、立ち直っている出来事の中に神の憐れみのわざを見ておりました。それゆえ、エパフロディトを喜んで迎え入れて欲しいとパウロはとりなすのです。

2011年11月6日 礼拝説教要旨

主題聖句 「テモテのように…あなたがたのことを心にかけている者は他にいないのです。」

フィリピの信徒への手紙第2章20節

説教主題 「キリストを求める」

 主イエス・キリストには12弟子がおりました。パウロにも伝道者の仲間がいます。師弟関係の点で似ているように見えます。ところが12弟子にとって主イエスは〝救い主〟であり、「イエス・キリストが復活された!」と宣べ伝える信仰の対象でもありました。パウロの仲間はパウロを教祖のように崇め奉ってパウロを宣べ伝えることはしません。その点が決定的に違うところです。パウロもテモテもエパフロディトも等しくキリストの福音を伝え、キリストに仕えるものなのです。

 パウロは別の手紙で「あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。」(テモテの手紙一第4章11節)とテモテに言っていますから、歳の差があったのかもしれません。しかし、〝先輩かぜをふかす〟ことなく、後輩のテモテを深く尊敬しておりました。「息子が父に仕えるように、彼(テモテ)はわたしと共に福音に仕えました。」(2章22節)とあります。もちろんテモテは偉ぶることなく、パウロを先達として敬慕し、よく仕えたことでしょう。しかし、それはパウロの言うことを1から10まで何でも聞いたというより、パウロと共にキリストの福音に仕えたのです。このようなテモテのイエス・キリストに対する信仰の姿勢に感心し、それを高く評価したのでした。

 テモテは自分自身よりキリストのことを考えます。誰よりも親身になってフィリピ教会の人々のことを愛します。このテモテが来てくれることになりました。フィリピの人々にとって何と慰めになったことでしょうか。