2023年2月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.6  御言葉を聞き、よく守る

 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

  ルカによる福音書第8章15節

 

主イエスは町や村を巡りながら、神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせました。その主イエスの語られる言葉を聞く人々の中には、色んな反応がありました。そのさまざまな反応を重ね合わせながら、主イエスは、種まきのたとえを語られたのです。このたとえを語られた締めくくりに主イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われました。聞いてほしいという主イエスの強い願いがあったのです。

このたとえを語られた後、弟子たちが主イエスに近づき、このたとえの意味を尋ねました。その求めに応じて主イエスはこのたとえの意味を教えられたのです。「種は神の言葉である」。たとえで示された「種」とは、聞く人の心の中に信仰の実を結ぶことを願って神がイエスを通して語られる神の言葉なのです。いのちの言葉なのです。

主イエスが神の言葉を語ってくださっていても、それを聞く者に試練があったり、生活の思い煩いなどが起こって挫折してしまい信じ続けることができなくなる場合もあるのです。ですから、み言葉を聞く時には、よく聞き、しっかりと自分のものとして握りしめ、それを保ち続けることです。作物が実を結ぶよう、農夫はその成長を辛抱強く待ち続けます。そのようにみ言葉が実を結ぶように忍耐して聞き続けよう。今も神はイエスを通して神の言葉を伝えておられるからです。

2023年1月29日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.5  まことの礼拝

そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。             

ルカによる福音書第21章2、3節

主イエスの時代の礼拝というと、エルサレム神殿に行き、そこで供え物を持って礼拝をささげることでした。主イエスの目から見れば、問題の多い礼拝の姿があったのですが、その中に、信仰に立った礼拝者もいたのです。その一人に、主イエスは目を留められました。

神殿のさい銭箱の前で、金持ちたちが、献金を入れる様子を、主イエスはご覧になっていましたが、ある貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を入れるのを見て、「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」と言われたのです。その金額は、当時の労働賃金の64分の1ですから、わずかな金額です。

主イエスはどうしてそんなことを言われたのかというと、「この人は乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」。生活費の全部とは、自分が生活するために必要なお金の全部ということです。それを全部、神にささげたのです。それは、彼女自身、これまで受けた神様の恵みに心からの感謝をしたいと思い、持ち合わせる全部をささげたのです。全部ささげても神様が満たしてくださると信じての行為です。このように自分自身を神にささげ、神にゆだねることは、私たちのなすべき礼拝です。そのような心を持ってささげたい。

 

2022年1月22日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.4  ふるさとのつまずき

 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。        

                              ルカによる福音書第4章24節

 

主イエスは、ふるさとの町ナザレの会堂で安息日礼拝に出席され、預言書朗読と説教を担当されました。イザヤ書60章1~2節を読まれた後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語られました。この「わたし」なる人物は、ご自分のことだと示されたのです。

人々は、主イエスの口から出る恵み深い言葉に驚きました。しかし、疑問に感じ、イエスに憤慨し、イエスを山の崖から突き落とそうとしました。折角の恵み深い説教が、聞いている人に何の実りももたらさなかったのです。どうしてそうなったのでしょうか。

ナザレの人々をつまずかせてしまったそのきっかけは22節の「この人はヨセフの子ではないか」という言葉です。

主イエスが恵み深い言葉を語った時、人々は慰めと恵みを覚え感激したのですが、ふと頭を冷やしてみると、イエスをそれほどの大人物とは思えなかったのです。この人はヨセフの子ではないかという疑問が湧いてきたのです。ナザレの人々は、イエスがよその町々では沢山の人を癒されたことに不満だったのです。そのような彼らの思いを見抜き「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われましたしかし主イエスはその中にも神の恵みを伝えられます。

 

 

 

2023年1月15日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.3  お言葉ですから

 すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」。

 ルカによる福音書第5章10節

 

上記の言葉は、シモン・ペトロに語られた主イエスの言葉です。この少し前に、ペトロは、沖に漕ぎ出して網を降ろして漁をしなさいという主イエスのお言葉を聞いて、「お言葉ですから」と漁をしたところ、想像を超えた大漁を経験したのです。その時、彼は、自分の前におられるイエスが、驚くべきお方、主であるとわかり、自分は罪深いを気づき、ひれ伏したのです。その恐れひれ伏すペトロに、主イエスが言われたのが、この言葉です。

私たち人間は、神のまことの光に照らされたら恐れるばかりです。自分の罪深さに気づかされたら、神の前に恐れるしかありません。イエスを恐れ、自分の罪深さに気づき、ひれ伏すペトロに、主イエスは「恐れることはない」と言われました。あなたの罪を赦すと宣言されました。その上で、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と、主イエスに従うように招かれたのです。彼はすべてを捨ててイエスに従い始めました。

イエスは、私たちの人生の中にも近づいて、イエスの言葉を語ってイエスとは誰なのかを示してくださいます。私たちをも赦してくださり、さらに主イエスのなさる働きの中に招いて下さるお方です。

 

 

 

2023年1月8日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.2  主イエスの洗礼

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。           

                              ルカによる福音書第3章22節

教会では、1月6日を公現日と呼んできました。元来1月6日はギリシャ系の東方教会でキリスト誕生の記念日、クリスマスとして祝われていたのですが、やがて、東西の教会の交流が深まるにつれて、キリストの誕生の祝日は12月25日になり、1月6日はイエスが洗礼を受けて聖霊が鳩のように天から降って神の子であることが証しされたことを記念する日となりました。神の子としての働きが公の舞台で明らかになったことを覚える時です。

「皇帝ティベリウスの治世の第15年」(ルカ3:1)西暦28年に洗礼者ヨハネがヨルダン川沿いの地方に現われ、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。その力強いメッセージを聞いた人々は心刺され、自分の罪を赦してもらいたい、洗礼を授けてもらおうとヨハネのもとに出てきました。そのように、ヨハネから洗礼を受けようと近づく人々の中に、イエスも加わって同じ洗礼を受けられたのです。イエスは、罪とかかわりもない方でしたが、罪に苦しみ赦されたいと願う人々の願いを、自分の願いとしてその罪を身に負って洗礼を受けられたのです。

その時、天から声がありました。「あなたはわたしの愛する子」と深い愛と信頼のこもった父なる神の言葉です。この声は私たちにも。

 

2023年1月1日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.1  あなたの救いを見た

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。                                             ルカによる福音書第2章29節

 

2023年が始まりました。年の初めに、まず神様を思い、この一年も神様が私たちを豊かに導いてくださいますようにと祈りましょう。

今日開かれた箇所は、イエス様がお生まれになって40日目の時のことです。両親は幼子のために律法の規定通りにいけにえをささげようとして、イエスを連れて神殿に来たのです。その時、シメオンは聖霊の導きによって神殿に来て、多くの人々の中で、イエス様の両親を見て近づき、マリアの腕に抱かれていたイエス様を見て、手を差し出したのです。そしてシメオンは幼子を腕に抱いたとき、神をたたえて「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」と言ったのです。 シメオンは、ずっと待っていたことがありました。聖霊から主の遣わすメシアに会うまでは決して死なないとのお告げを受けて、ずっと待っていたのでした。今、主が遣わすメシアを見て、感激しています。自分の腕に抱いるのは、幼子ですが、この幼子は、神が備えられた救いそのものだと分かったので、感激しています。待っていたものを見たことで、もう死んでもよい、もう思い残すことはないと感激しています。神様を信じる私たちにとっては、神様の与える救い主を知ることが喜びです。聖霊の導きでこの救いを頂きたい。

2022年12月25日 🎄 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.52 大きな喜び

 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」                   ルカによる福音書第2章10節

 

クリスマスおめでとうございます。今日は12月25日。公にクリスマスという日に、今年は、クリスマス礼拝を守ります。1年最後の日曜日でもありますので、1年の主からの恵みを一つ一つ覚えながら、救い主がお生まれくださったその恵みを喜び感謝しましょう。

救い主の誕生の知らせが最初に届けられたのは、ベツレヘムの野原で野宿をしながら、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちでした。彼らには、当時皇帝から出された住民登録の勅令は届いていなかったようです。職業柄、安息日に神殿に行って礼拝はできません。神の戒めを守らず、神から遠い人たちでした。そんな彼らのところに、救い主の誕生の知らせが最初に届けられたのです。それはなぜか。天使の御告げの言葉にあるように、その知らせが「民全体に与えられる大きな喜び」であったからです。神は、この羊飼いにも、神の大きな喜びを、伝えて一緒に喜びたいと思われたのだと思います。

天使の伝えたその「大きな喜び」は、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」ことです。「あなたがたのために」、すなわち、羊飼いたちはじめ、神から離れてしまい神の恵みを失っていた人たちのために、神は御子を救い主として送ってくださったのです。この方が私たちを救ってくださるのです。

2022年12月18日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.51 お言葉どおりなるように

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」                          ルカによる福音書第1章38節

神の言葉どおりエリサベトが身ごもって、6か月が経った頃です。ガリラヤのナザレに住むマリアという娘のところに、天使が神から遣わさ
れました。マリアは同じナザレに住む大工のヨセフと結婚の約束をしていました。 天使はマリアに「おめでとう恵まれた方」と挨拶をしましたので、その挨拶に戸惑っていると、天使はマリアに、あなたはみごもって男の子を産む、その子は、偉大な者となり、その子はダビデの王座を治めるという、約束の救い主だと告げたのです。
救い主がお産まれになることはありがたいことですが、そのためにマリアの胎にその子がみごもるという話に、マリアは驚き「どうしてそんなことがありえましょうか」と答えました。しかし、天使は言います。神の聖霊が降り、いと高き力がマリアを覆い包む。全能の力が覆ってそのことが起こると言うのです。その上、マリアの親類のエリサベトも神の力によって年取っていて不妊の女なのに身ごもって6か月になっていると伝え、「神にできないことは何一つない」と語られました。
それを聞いたマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。マリアは救いの計画を全能の力によって成し遂げようとされる神を信じ、神に自分を任せたのです。私たちの上にも神の計画がありますから、神を信頼し従いましょう。

2022年12月11日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.50 喜びの知らせ

  天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。         

  ルカによる福音書第1章13節

 

いよいよクリスマスが近づいています。今日の主題は、救い主の誕生の前に、先駆者として、人々に悔い改めを促し救い主を迎える道備えをした洗礼者ヨハネの誕生です。

ヨハネの父は祭司ザカリア、母は祭司の系統のアロン家の娘の一人、エリサベトです。熱心に主に仕えた夫婦ですが、子どもはなく、年老いていました。ある時、ザカリアがエルサレムの神殿の聖所に一人入って、香をたき、祈っている時、天使が彼に「あなたの願いは聞き入れされた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」。という驚くべきことを聞きました。しかも、その子は、聖霊に満たされイスラエルの多くの人々に神である主のもとに立ち帰らせる務めをするとまで言われたのです。そのすごいことを言われても、ザカリアは理解できません。自分も妻も年老いていますと答えました。

その結果、ザカリアは口がきけなくなりました。でも、ずっとではなく、その喜びの知らせである、子が産まれるまでの間でした。その口がきけなくなっている間、ザカリアは、きっと自分の不信仰を悔い改め、主の言葉が実現するのを待っていたと思います。私たちも主の言葉を理解できず従えないことがあります。じっと主のみ言葉を信じて待とう。