2019年1月27日 礼拝説教要旨

心からの献げもの

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第21章1-9節

主題聖句:言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。

ルカによる福音書 第21章3節

 私たちが日曜日の朝、教会に集い、礼拝をささげていますが、その基本は、神様からの大きな恵みを覚えて、私たちの全生活を神様にささげることです。ローマ12章1節をご覧ください。
主イエスの地上を歩まれた時代の礼拝は、エルサレムの神殿で祭司によって動物のいけにえをささげて感謝を表し、罪の赦しを願うものでした。神殿礼拝は形式的になっていて、問題点も多かったので、その神殿も神殿での礼拝もいつか終わる時が来ることを主イエスははっきりと語られました。そういう中で、すばらしい目を見張るような礼拝をする人に主イエスは目を留められました。それが今日の箇所のある貧しいやもめの献金の姿です。
主イエスは、金持ちたちが神殿の賽銭箱に献金を入れる様子を見ておられました。その列の中に、あるやもめがレプトン銅貨2枚を入れたのです。その金額は金持ちの献金に比べるならわずかなものでした。しかし、主イエスはそれをご覧になって、「この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた」と言われたのです。それは、このやもめが乏しい中から持っている生活費すべてささげたからです。彼女は自分のための何かを残さず、神様が自分を必ず守ってくださると信じて自分の生活すべてを神様にささげたのです。この姿勢は私たちにインパクトを与えます。

2019年1月20日 礼拝説教要旨

 故郷では歓迎されない預言者

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第4章16-30節

 

主題聖句:皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った「この人はヨセフの子ではないか。」  

ルカ福音書 第4章22節

        

 主イエスはご自身のお育ちになったナザレに来て、安息日にユダヤ人の会堂に入り、そこで聖書を朗読されました。イザヤ書61章の言葉でした。そこを読まれた後、人々に向かって「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められました。

 

この話を聞いた人々は皆、イエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いたのです。このお方の語る言葉が人々の心に沁み入る言葉であったからです。「この人はヨセフの子ではないか」。あの大工ヨセフの子がこんな立派なことが言えたものだと感心したのです。それからやがてわれわれはヨセフの子を、イエスの他にもその兄弟たちをも知っている。この子たちはここナザレに住んでいるではないかと主イエスを軽蔑することになったのです。イエスを神から遣わされた者と信じられなくなったのです。

 

このようなつまずきは今日の私たちにも当てはまるのではないでしょうか。イエスを私たちは神の御子と信じ、この方の救いを信じていますが、そのとき、心の中でこのイエスも一人の人間ではないか、イエスを敬う程のことはないと思ってしまいやすいのです。しかし、この方は確かにヨセフの子として生まれ育った人ですが、神から遣わされた救い主です。私たちと同じ人間として苦しみ、私たちに仕えられたのです。

2019年1月13日 礼拝説教要旨

 人生の転機

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第5章1-11節

 

主題聖句:シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。          ルカによる福音書 第5章5節

        

 人生には、ある時変化が起き、新しい展開になっていくという転機を迎えることがあります。シモン・ペトロにおいては、今日の聖書箇所の出来事がそのことでした。その後、彼の人生は大きく変わりました。

 

その日の朝もいつものようにシモンは漁師として漁をしたのですが、その朝は何も獲れず辛い思いで舟を降りて片づけをしていた時でした。主イエスから、彼の舟に乗って少し湖岸から少し出た所から人々に話をさせて欲しいと頼まれました。早速彼は主イエスを舟に乗せ、主イエスは人々に神の言葉を教えられました。その時彼もそばで聞いていました。そして主イエスの話が終り、その時、主イエスは彼に思いがけない言葉をかけられたのです。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。そう聞いた時、「自分は漁師だから、こんな昼間に漁をしても何も獲れませんよ」と笑い飛ばすこともできたはずでしたが、そうしませんでした。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから」と答えたのです。どうしてそう答えたのでしょうか。先ほどまで話された主イエスの教えを思い出したからです。このお方が言われるのだから信じて従おうとしたのです。そうしたところ、彼は奇跡を見、イエスは神だと知ったのです。

2019年1月6日 礼拝説教要旨

 わたしの愛する子

三好晴夫 牧師

ルカによる福音書 第3章15-22節

 

主題聖句:すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。   

 ルカによる福音書 第3章22節

        

 これは、主イエスが洗礼を受けられたとき、父なる神からのお答えの言葉です。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。こういう返事を頂くことができることは、何と幸いなことでしょうか。

 

この言葉には、二つの意味が込められていたと思われます。一つは、主イエスが父なる神の御子であられる。最愛の独り子であるという意味です。父なる神から深く愛され、最も大切なものとして愛されているという意味です。もう一つは、主イエスが、罪人が悔い改めのために受ける洗礼を受けられたことによって、罪人の立場に自らを置き、これから罪人を愛し、共に生きる救い主としての働きをすることを表明されたことに対して、それは父なる神の御心であるから、「あなたは…わたしの心の適う者」と認められたことを示しています。あなたは苦しみながら、父なる神のみ心を果たして行く者だと認めてくださったのです。

 

この父なる神の声を受けて、主イエスは父なる神の愛、神の信頼を受け止めつつ、救い主としての歩みを始めていかれるのです。

 

ありがたいことに、主イエス・キリストの恵みのゆえに、私たちに対しても、父なる神はこのように「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と語り、愛してくださっているのです。新しい年を迎えている時、この神の愛の声を受け止めて、主につながり続けよう。

 

2018年12月30日 礼拝説教要旨

 救い主を求めて

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第2章1-12節

 

 

主題聖句:「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」          

 マタイによる福音書 第2章2節

        

 ユダヤ人の王の誕生の知らせは、東方の占星術の学者にも伝わり、彼らがユダヤ人の王を拝もうと旅立ったところ、神の導きによって幼子イエスにお会いすることができたことを覚えたいと思います。

 

彼らが星の動きを調べているとき、特別に輝く星を見つけ、何を示しているのかを調べたところ、この星はユダヤで新しい王が誕生したことを示すものと確信したというのです。それは、ペルシャ地方に住んでいたユダヤ人たちが、先祖から自分たちを救うために新しい王がお生れるになるという預言を聞いていて待ち望んでいたことに、彼らも関心を持っていたからだと思われます。その星の動きとその預言から、ユダヤ人の新しい王の誕生を知らせる星だと確信した彼らは、この王はユダヤ人だけでなく、世界を治める王にちがいないと信じ、このお方を見たい、拝みたいと強く思っていざエルサレムへと行動を起こしたのです。

 

しかし、彼らが、エルサレムで「お生まれになった王はどこにおられますか」と尋ねたところ、ヘロデ王も人々も不安を抱きました。手がかりは預言書でした。その言葉の示す所に従って彼らが出かけて行った時、幼子イエスに会うことができました。新しい王に会いたいという願いを神は祝福してくださったのです。求める者を神は導かれるのです。

2018年12月23日 礼拝説教要旨

言が肉となって

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第1章1-14節

 

 

主題聖句:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。 

 ヨハネによる福音書 第1章14節

   

 ヨハネによる福音書では、クリスマス、すなわち救い主イエスがお生れになられたことを、「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」という言葉で言い表されています。

 

「言は肉となって」。この「言」とは、何を示しているのでしょうか。同じ言葉が1章1節にあります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と。「初めに」という言葉を聞くと、私たちは旧約聖書の初めの創世記1章1節の言葉を思い起こします。「初めに神は天地を創造された」と記されています。「初めに言があった」というのは、神が天地を創造されたときの神の言葉、すなわち、神の御意志を示しています。神は天地を創造なさる時、「光あれ」と言われ、光が創造されました。ですから、永遠の昔に神によって天地万物が創造されたその時、神の言があった。神の言は神と共にあった。神の御意志が神と共にあったのです。そしてこの言は永遠の神と共にすべてのものを創造することに関わっておられたのです。この言が人にいのちを与え、人々に光をもたらしたのです。

 

しかし、人間は自分たちを創造された神を離れ、自分勝手に生きてしまいました。けれども、神は私たちを救い出すために、神の言が人となってお生まれになったのです。神の言である永遠の存在が人間と同じ性質を持つ存在となられたのです。それは神のみがなさる愛の御業です。

2018年12月16日 礼拝説教要旨

 お言葉どおり成りますように

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第1章26-38節

 

 

主題聖句:マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」  

ルカによる福音書 第1章38節

   

 この言葉は、神様の申し出に対する、マリアの献身の表明です。

 

神様からどんな申し出があったというと、神の恵みによってマリアのお腹に男の子が身ごもる。その子はいと高き子である。ダビデの王座が与えられ、永遠にヤコブの家を治める。すなわち、マリアから生まれるその子は人々を救う救い主となるという申し出でした。

 

しかし、この神様のご計画をマリアは理解できませんでした。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と答えたのでした。その時天使は、聖霊がマリアに降り、いと高き方の力がマリアを覆い包むゆえに、そのことが起こるのだと答えました。すなわち、神のご計画が成し遂げられるために、神は全能の力を持って成し遂げられるというのです。その上で、マリアの親戚のエリサべドが高齢にも関わらず男の子を身ごもり、不妊の女と言われていたのにもう6ヶ月になっている。それは、神の全能の御業だというのです。

 

こう言われて、マリアは、自分は小さな者、神様に仕える者であると認めて、神様が救いのご計画を全能の力によって成し遂げて行かれることを信じ、神様に自分の身を任せ、自分をささげる決心をしたのです。このマリアの献身の姿は、私たちの信仰の模範です。私たちの上にも神様の御計画があり、聖霊によって、私たちの中でも神様は御業を成し遂げようとしておられます。信仰をもって従うものとされましょう。

2018年12月9日 礼拝説教要旨

 今日、実現した

三好晴夫 牧師

ルカによる福音書 第4章14-21節

 

主題聖句:そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

ルカによる福音書 第4章21節

    

 聖書のみ言葉は、神様から私たち人間に語りかけられている愛の言葉です。私たちを救い、生かし、励ますところの神様の不思議な力があります。その不思議な魅力の一つが、旧約の預言者によって示された神の約束が、イエス・キリストにおいて成就していることです。

 

今日の箇所には、主イエスがいつも通り安息日にナザレの会堂に入られて、礼拝に出席したとき、聖書を朗読したことが書かれています。当時の聖書は巻物になっていました。その時手渡された巻物が預言者イザヤの巻物でした。その中のある個所に、主イエスの目が留まり、そこを読まれました。そこには、主の霊に満ち主から遣わされた主のしもべが、貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人たちに解放を与えるという救いをもたらすことが書かれていて、それを朗読されたのです。

 

朗読が終り、主イエスは席に座ると、会堂にいた人々の目がイエスに注がれていました。すると、主イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められたのです。すなわち、今読まれた預言者イザヤの言葉に記されていたことが、今日成就したと言われたのです。つまり、主のしもべによって人々を救う御業が、主イエスによってこの時、この場で実現したというのです。何と驚くべき宣言でしょうか。この約束の通りに主イエスは救いをなさるのです。

2018年12月2日 礼拝説教要旨

 解放の時が近い

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第21章25-36節

 

 

主題聖句:このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさいあなたがたの解放の時が近いからだ。 

ルカ福音書 第21章28節

    

 今年も12月に入りました。日中は暖かい日差しがありがたく、紅葉の木々も色鮮やかです。でも、夕方5時を過ぎると早くも薄暗いです。この暗さは今日の時代の暗さを象徴しているように思えます。経済的不況が続いています。貧富の差が大きく、息苦しい状況がいたるところにあって我慢を強いられています。

 

この様な真っ暗な状況は、これまでも、主イエスの時代にもあり、主イエスも、そのような時代の問題点を厳しく指摘しておられます。それと共に、この暗い状況がいつまでも続くのではなく、明るい将来がある事を語っておられます。今日の箇所には、世の終りと思えるような天体が揺れ動かされて、人々が不安に陥り、気を失うようなことが起こることが指摘されています。もしそういうことになれば、私たちはそれに耐えることができないでしょう。しかし、その時、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る。」とあります。暗闇の状態が続くばかりではなく、私たちの解放の時が来るのです。解放とは、代価を支払って奴隷を買い戻し解放するという贖いの業を意味する言葉です。主イエス・キリストの十字架の贖いは、ご自身の血によって人の罪を赦すための御業でしたが、キリストの再臨における贖いは、すでに始まったこの救いの出来事を完成させるために解放の時です。その時が近づいているのです。キリストの救いを信じて待ち望みましょう。

2018年11月25日 礼拝説教要旨

 主が救い出してくださった

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第12章1-19節

 

主題聖句:すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。                               使徒言行録 第12章7節

    

 神を信じて従う歩みには、誤解とか反対を受けることがあるのですが、その中でも、神様は私たちを守り助けてくださるのです。

 

今日の箇所には、エルサレム教会を襲ったさらなる迫害と、それを受け止めた教会と信仰者の姿が記されています。エルサレム教会への迫害はこれまで最高法院に属するユダヤ人の指導者たちによるものでしたが、今度は政治権力者による教会への迫害が加わったのです。

 

ヘロデ王がユダヤ人指導者たちに喜ばれようとして、彼らと対立関係にあったキリスト教会を迫害し、民衆とユダヤ人指導者を自分の味方につけようとしたのでしょう。彼はまずエルサレム教会の中心人物の一人ヨハネの兄弟ヤコブを殺害しました。次に同じ中心人物の一人ペトロを捕え、牢に入れたのです。それで教会ではペトロのために熱心な祈りが神にささげられていました。

 

その時牢獄にいたペトロはどうしていたのかというと、二人の兵士が彼の左右にいてお互いを二つの鎖でつながれて監視されている状態でしたが、そんな中にも眠っていたのです。それはすべてを神に委ね、安心しきっていたからこそ、眠ることが出来たのでしょう。彼が引き出される前夜、主の天使が現れて彼を牢から引き出されました。それは本当に不思議なことでした。神に従う者を主は救い出してくださるのです