2016年5月8日 礼拝説教要旨

求め続ける信仰

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第15章21-28節

 

主題聖句:女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」

マタイによる福音書15章27節

 

 

  主イエスがティルスとシドンの地方に行かれた時、その地方に住む一人の婦人がみもとに来ました。主イエスを救い主と知って、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけ、自分の娘の病気の癒しを願い、「わたしをあわれんでください」と叫びました。

 

しかし、主イエスは何もお答えになりません。しばらくしてその理由を示されました。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」のだとお答えになりました。救い主として、何よりもまず神の選びの民であるイスラエルを救い出すことが、ご自分の優先すべき使命だと言われたのです。

 

そう言われても、なおこの婦人はなおも必死に助けを求めました。しかし、主イエスは「子どもたちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と言いました。この言葉だけを聞くと、主イエスは何と冷酷な人と思われるかもしれません。よく聞くと主イエスのユーモアと愛があります。小犬という、かわいがられているペットと呼ばれたのです。

 

これを聞いた婦人は主イエスの言葉を当然と受け入れ、自分は小犬のような小さな者ですが、神のあふれる祝福から、こぼれ落ちる祝福を頂きたいと求めたのです。このような、神の御心を受け止めつつ、へりくだった婦人の信仰を、主イエスは喜び、願いに答えてくださいました。   

2016年5月1日 礼拝説教」要旨

ザアカイの回心

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第19章1-10節

主題聖句:「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」

ルカによる福音書19章5節

 私たちは、生き甲斐のある喜びに満ちた生き方をしたいと心の中で願っています。しかし、現実には、それを妨げるものがあって、それが邪魔をして、そのような人生が送れない悩みがあります。私たちの人生の中に、このままではいけない、変えられなければならない部分があることが、もしかしたら、わたしたちが喜びに満たされることを妨げているのかもしれません。
そのために、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。聖書は、主イエスに出会うとき、自分の人生が変えられることを教えています。

その経験をしたザアカイは、徴税人でした。当時のユダヤを支配していたローマ政府から請け負って、同じユダヤの人々から税金を取り立てていたのです。徴税人の頭で、金持ちであったということは、かなりあくどく取り立てをして、金儲けをしていたのでしょう。人々から嫌われていました。

彼のいる町に、あるとき、主イエスが来られました。それを聞いたザアカイは、主イエスを見たいと思いましたが、彼は背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができません。彼はどうしても主イエスを見たいと思って、前方の大きな木に登って、主イエスを見ようと待ち構えたのです。主イエスがちょうど彼のいる木のところに来られたとき、主は見上げて彼を見つめて「ザアカイ。急いで降りて来なさい」と呼びかけられ、「今日、あなたの家に泊まりたい」と言われました。この驚く申し出に彼は主イエスを喜んでお迎えして、変えられました。主は私たちの所にも来て救ってくださいます。

2016年4月24日 礼拝説教要旨

恵みを証しする

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第8章26-39節

 

主題聖句:「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」

ルカによる福音書8章39節

 

 

今日は、ゲラサ人の地方で悪霊に取りつかれていた男に注目します。

 

この男は長い間、衣服を身に着けず、墓場を住まいとして、鎖でつながれ、足枷で縛り付けられなければならないほど、狂暴な行動をしていました。彼を苦しめるものが、彼の内にいて、彼の身体をも痛めつけていたのです。

 

この人は、私たちと全く縁のない異常者ではありません。私たちも、欲望や衝動に突き動かされて、周囲の状況を考えないで、物事をむやみに押し進めてしまうことがあります。その欲望や衝動の背後に、悪の力や闇の力がいて、私たちを攻撃して、神から引き離そうと狙っている場合もあります。この攻撃に対して、私たち人間の力だけでは太刀打ちできません。

 

そんな狂暴な力に支配され、苦しみながら、突き動かされているこの人のもとに、主イエスは近づかれました。主イエスが神の子としてこの人の前に立たれた時、主イエスは、汚れた霊に男から出るように命じられたのです。すると、悪霊どもはその人から出て、豚の中に入って、その豚の群れは湖になだれ込み、おぼれて死んでしまいました。

 

さて、悪霊どもを追い出してもらった人は、服を着、正気になってイエスの足もとに座っていました。主イエスの御力によってそうなったのです。そこで、彼が主のお供をしたいと願ったとき、主イエスは、家族のもとにとどまって、自分の家族に主がどんなに大きなことをしてくださったかを聞かせなさいと命じられました。私たちも主から頂く恵みを証ししたいものです。

 

2016年4月17日 礼拝説教要旨

心の目も開かれる

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第9章13-39節

 

主題聖句:イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。

ヨハネによる福音書9章35節

 

ヨハネによる福音書9章には、生まれつき目の見えない人が、主イエスによって、目が見えるようにしていただいたことが記されています。

 

生まれつき目の見えない状態で過ごしてきた人は、目が見えるようになり、どんなにか感激したことでしょう。しかし、そのことが起こった日がユダヤの戒めでは仕事をしてはいけない安息日であったので、癒した人は安息日を破ったということで大問題になってしまいました。

 

彼は、人々によってファリサイ派のところに彼を連れて行かれました。厳しい尋問を受ける中で、彼は、以前は見えなかったのに、今見えるという事実を語ったのです。そう証言しても、人々は、イエスを、安息日を守らない悪い人だから、神から出た者ではないと決めつけてしまいました。

 

そういう尋問を受ける中で、彼は、自分を癒されたイエスという方に対する、心の目が開かれたのです。彼のイエスを救い主と信じる思いが深められていったのです。ついに、彼は、ユダヤ教から破門されたとき、そこに主イエスが近づいて、彼を励ましてくださいました。

 

私たちの信仰の始まりにおいても、神様は、このように、御自身の方から近づいてくださっているのです。今日も神様の方から私たちに近づいておられます。いつも近づいて励ましてくださっています。このお方を信じて行きましょう。