投稿者: matsuyama-alliance
2016年11月6日 礼拝説教要旨
あなたはメシア
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第8章27-33節
主題聖句:「そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『あなたは、メシアです。』」
マルコによる福音書第8章29節
主イエスが弟子たちに問われた「あなたは、わたしを何者だというのか」という問いは、とても大切な問いです。聖書を読む人に向かって、イエスは何者かと問うています。
主イエスがこの問いを弟子たちに発せられた理由は、弟子たちが主イエスと一緒に過ごす生活において、みそばで主イエスの教えを聞き、主イエスのなさった御業を見て、悟るべきことを悟り、受け取るべきことを受け取っていたかを確かめるためでした。
その問いに対して、弟子たちを代表してペトロが「あなたはメシアです。」
と答えました。「メシア」という言葉はヘブライ語で「油注がれた者」という意味であり、ギリシャ語で「キリスト」です。神の恵みによって選ばれた救い主という意味です。このメシア(来るべき救い主)が人々を救うために来られるのを人々は待っていました。ペトロは、この来るべきメシアはあなたです、とイエスに告白したのです。ペトロは、主イエスと一緒に生活する中で、このことを深く経験して告白したのです。
この告白のあと、主イエスは、ご自分のことを誰にも話さないように戒められました。それは、まだ時期ではなく、イエスがどのような救い主であるのかということがまだ示されていなかったからです。十字架と復活がまだであったからです。その後、イエスは、私たちの罪のために十字架にかかられ贖いの御業を成し遂げられ、まことの救い主であることを現わされました。今こそ、イエスはメシアです、と信頼を込めて告白しましょう。
2016年10月30日 礼拝説教要旨
はっきり見える
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第8章22-26節
主題聖句:「そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。」
マルコによる福音書第8章25節
私たちは、霊的に盲目な状態にあります。そんな私たちの霊的な目が開かれ、見えるようになるように、イエスご自身がメシア(救い主)と分かるように、主イエスは導かれるお方です。そのことを、主イエスは、今日の箇所で、一人の盲人が、主イエスの御業にあずかって、目が開かれ、はっきり見えるようになった出来事を通して、示しておられます。
この盲人と主イエスが出会う前、主イエスと弟子たちは舟の中でした。その時、弟子たちはパン一つしか持って来なかったことを気にしていました。でも主イエスはそれを気にしておられるではなく、不信仰にならないように、今ここにすべてを与える主イエスがいることを悟ってほしかったのです。でも、このとき、弟子たちは悟っていなかったのです。
そんな彼ら弟子たちが、主イエスが救い主であることを正しく理解できるように、盲人の目を癒される御業をお見せになったのです。
主イエスと弟子たちがベトサイダに着いた時、人々が一人の盲人をみもとに連れて来て、触れていただきたいとお願いしました。すると、主イエスはその盲人を深く憐れみ、その盲人の手を取って、村の外に連れ出されました。そこで、その人をしっかりと見つめられ、彼の両目に唾をつけ、ご自身の両手を置かれました。彼の反応を確かめながら、御業をなさり、はっきり見えるようになりました。この御業を間近で見た弟子たちも、このようになさる方が誰なのか、よりはっきりと分かるように導かれました。この方が、救い主と正しく理解できるように導かれたのです。主が触れて導かれたのです。
2016年10月23日 礼拝説教要旨
開 け
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第7章31-37節
主題聖句:「そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、「開け」という意味である。」
マルコによる福音書第7章34節
今日、耳が聞こえず舌の回らない人と、主イエスとの出会いを見つめます。主イエスがガリラヤに戻って来られたとき、人々は、耳の聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるように願いました。その人々は、困って苦しんでいるその人を何とか助けたいと思い、主イエスにお願いすれば、何かしていただけるのではないかと思ったのです。
すると、主イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、指を彼の両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられました。主イエスは、その人の苦しみを、ご自分の身体にくっつけるように触ってくださったのです。そして、「天を仰いで」すなわち、天の父なる神様を見上げて、天からの力を願う祈りをされたのです。「深く息をつき」すなわち、呻かれたのです。主イエスは、ご自分を、耳が聞こえない人の立場に身を置かれ、その苦しみを自らの苦しみとして呻かれたのです。このことは、主イエスは、この人の癒しを行うのに、抱える困難と激しく闘って全力を投入して成し遂げられたことを示しています。
そして主イエスは「その人に向かって、『エッファッタ』と言われた。これは、『開け』という意味である」。すると、彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話すことができるようになったのです。
この出来事を知った人々は驚き、神を賛美しました。それは、預言者イザヤの預言である「聞こえない人の耳が開く、口のきけなかった人が喜び歌う」ことが、その通り、この主イエスにおいて、実現したからです。