投稿者: matsuyama-alliance
2016年11月27日 礼拝説教要旨
主の救いの希望
三好 晴夫 牧師
イザヤ書 第2章1-5節
ローマの信徒への手紙 第13章11-14節
主題聖句:「終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい。」
イザヤ書第2章2節
私たちの住む現実世界は、様々な危険や脅威に取り囲まれていて、不安と恐れがあります。そういう中で、私たちはすべてを支配しておられる神様を信じて過ごしています。神様を信じるということは、その厳しい現実を、神様がどう見ておられ、神様がどのような約束を私たちに与えておられるか、その約束を信じることです。「今がどんな時であるか」(ローマ13:11)。私たちとしては厳しい現実であっても、今が、神様が与えている特別の時であると覚えることです。厳しい現実の中にも、神様の与えられる約束に、希望を持って生きるべきなのです。
今日の箇所イザヤ書2:2~5には、「終わりの日」すなわち、夜の終わりの時に、エルサレムは偉大さを表すとある。その偉大さとは、神様の臨在と教えの偉大さです。それゆえ、国々の人々がそこに教えを求めて集まるというのです。その教えに基づいてすべてが正しく裁かれます。その教えに基づいて平和が起こるのです。ですから、預言者イザヤは、神様の教えの光の中を歩もうと呼びかけています。しかし、当時の人々はイザヤの伝えた言葉に耳を傾けず、悔い改めず、神の裁きを受けて、国が滅び、苦難を味わいました。
そういう中でも、イザヤの語った、神の救いの約束が、主イエス・キリストの来臨と十字架と復活の御業によって実現しています。主イエスを信じる者に赦しといのちが与えられるのです。主イエスの救いこそ、希望です。
2016年11月20日 礼拝説教要旨
父親の信仰
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第9章14章1-14節
主題聖句:「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けくだい。』」
マルコによる福音書第9章24節
私たちは、より確かな真実を求めようとするからでしょうか。簡単には信じない、疑う事が当たり前の世界に生きています。そういう世界の中で、目に見えない神様の存在、神様のなさる御業を信じることが難しいのです。
今日の聖書箇所に登場する、霊に取りつかれて苦しむ息子を持つ父親も、信じることができない状態にありました。それは、息子の病気の症状があまりにも重くて、どうにも助ける事ができずにいたし、主イエスの弟子たちに助けを求めたが、できなかったからでした。
この父親が主イエスに尋ねられて、自分の息子の窮状を説明したあと、「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」とお願いしました。
自分の息子のことを主イエスにお願いしても、無理だろうという思いがありました。でも、もう一方で、息子を救ってもらいたいという切実な思いがあったので、父親は正直な心を持ってお願いしたのです。これは、信じているのではなく、信じてはいないけれど、もし何か起こればありがたいというほどの願いでした。
すると、主イエスは、この父親をたしなめられました。「『できれば』と言うのか。信じる者には、何でもできる。」これは、全能の御力を持っておられる救い主イエスの言葉です。父親は、へりくだった態度で語っていましたが、主イエスが助けて下さるとは信じ切れていませんでした。信じる者には、何でもできる。救い主によって強くされるのだ、信じて願えと言われたのです。
そう言われて、父親は、自分の信仰のない事に気づき、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と求めたのです。その願いが聞かれるのです。
2016年11月13日 礼拝説教要旨
栄光に輝くキリスト
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第9章2-8節
主題聖句:「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』」
マルコによる福音書第9章7節
主イエスが3人の弟子たちを連れて、祈るために高い山に上られた時のことです。主イエスが祈っておられるうちに、彼ら3人の前で、主イエスの姿が変わったのです。服が真っ白に輝きました。この姿は、主イエスが、地上に人間としてお生まれになる前に、父なる神と共におられたときの栄光の姿です。神の御子の栄光の姿を、今現されたのです。
その時、モーセとエリヤが現れて、主イエスと語り合いました。そのことは、ルカ福音書9章31節には、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられた最期について話していた」とあります。最期とは、主イエスが十字架に処刑され、人類の救いを成し遂げられることです。旧約聖書を代表するモーセとエリヤが、キリストの苦難、死、復活を認められたのです。
その時、雲が現れて、彼らを覆い、雲の中から声がしました。それは父なる神の声でした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」と言われたのです。6日前に主イエスが弟子たちに教え始められた、苦難の道、メシアとして、多くの苦難を受け、殺されて、三日後に復活するという、神の救いの御心を成し遂げられるこの御子イエスを、神が受け入れられたことを示す宣言でした。神は御子イエスを深く愛しておられ、苦難に進むことを認められた。
「これに聞け」。このイエスが語る言葉に聞き従いなさいと言われたのです。十字架で苦しまれ、救いを成し遂げられるこのイエスに聞きなさいと。
その後、栄光の雲が消え、モーセもエリヤもいなくなりました。しかし、イエスが彼らと一緒におられました。先ほどまで一瞬でしたが、栄光に輝いた主イエスが彼らと共におられます。今も今後も共にいてくださいます。