2021年3月7日 礼拝説教要旨

キリストに従う  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第16章13-28節

             

  主題聖句:それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

           マタイによる福音書 第16章24節

 主イエスを信じ従うとはどういうことでしょうか。それが今日の箇所に教えられています。

 

ある時、主イエスは弟子たちに「わたしを何者だと言うか」とお尋ねになりました。するとシモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答え、その告白を主イエスは喜ばれました。この告白を聞かれた主イエスはこの時から、弟子たちに、ご自分が救い主としてどんな働きをされるかはっきりと語られたのです。すなわち、必ずエルサレムに行き、ユダヤの指導者たちから多くの苦しみを受けて殺されるが、三日目に復活することになっているという神の御計画を語られたのです。

 

しかし、ペトロには全く理解できません。善意で主イエスをおいさめしたのです。それに対して主イエスは「サタンよ、引き下がれ」としかり飛ばされました。主イエスとしては神のことを思い、神の計画に従って十字架の道に進もうとされていたからです。そう語られた後、主イエスは弟子たちに今一度「わたしについて来たい者は」どうあるべきかを語られました。「自分を捨て」自分の中に絡みつく執着する自分を手離し、「自分の十字架を背負って」主イエスのゆえに負わされる苦しみを負って、主イエスに従うなさいと招かれたのです。主イエスは信頼する者を導かれます。

2021年2月28日 礼拝説教要旨

神の霊の力

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第12章22-32節  

 

主題聖句:しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国は

      あなたたちのところに来ているのだ。  

マタイによる福音書 第12章28節 

  神様からすばらしい祝福をいただいているのに、当たり前のように思い、気づかずにいることがありませんか。それだけでなく、神様の明らかな祝福に気づかずに不平不満を言ってしまうことはないでしょうか。

 

ある時、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が主イエスのところに連れて来られてきて、主イエスがその人をいやされ、ものが言え、目が見えるようになったのです。それを見た群衆は大変驚いて、この方をメシア救い主ではないだろうかと言いました。しかし、冷静に見ていた人がいました。ファイリサイ派の人たちでした。彼らは自分たちなりに解釈し、この者は悪霊の頭ベルゼブルの力によって悪霊を追い出したのだと非難したのです。

 

彼らの思いを見抜かれた主イエスは、たとえをもってご自分が悪霊の頭の力で追い出しているのではないと反論されました。国でも町でも家でも内輪で争えば成り立ちません。悪霊の頭が悪霊を追い出すとは、内輪もめであり、その国は成り立たないでしょう。しかし、主イエスは神の霊によって悪霊を追い出したのです。そうであれば、神の国はあなたたちのところに来ていることを示しているのです。神様がここにおられるという事実が現されているのです。主イエスは病の人をいやされ、罪に苦しむ者を救い出し、思いわずらう者をいやしてくださいます。主イエスのなさる御業に期待し、勝利される主イエスと共に歩みましょう。

 

2021年2月21日 礼拝説教要旨

荒れ野の試み  

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第4章1-11節

 

      

主題聖句:イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 

       マタイによる福音書 第4章4節

 教会の暦で「受難節」(レント)の季節に入りました。これから40日間、主イエス・キリストが救い主としてどのような苦しみを味わわれ、人々を救う道にお進みになられたのかを覚えます。今日は第一主日として、主イエスが荒れ野で悪魔の試みに遭われた箇所を読みます。悪魔は神に逆らうように仕向けてくる霊的存在です。主イエスを、そして私たちをも神に信頼しないように仕向けて来るのです。まさに霊的な戦いです。

 

 

悪魔のした第一の試みは、主イエスが荒れ野で40日間断食した後、空腹を覚えられた時にありました。空腹の最中、誘惑する者が主イエスに「あなたは神の子なのでしょ。ならば、辛い空腹を我慢しないで目の前の石をパンになるように命じたらどうですか」と誘惑して来たのです。この誘惑は、あなたは神の子なのだから、神に頼らず、自分の力でこの石をパンにしなさいという誘惑です。鋭い誘惑です。

 

 

すぐに主イエスは「人はパンだけで生きるのではなく」と申命記8章の言葉を持って答えられたのです。人は、食べ物を必要としていますが、それだけで生きるのではない。昔イスラエルの民が荒野で食べ物がなくて困った時、マナという不思議な食べ物をよって神は彼らを毎日養われた。そのように神の与えられる命の糧(言葉)によって生かされるのだと。