2018年11月11日 礼拝説教要旨

すべての人を救う神の御業

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第11章1-18節

 

主題聖句:こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」        

使徒言行録 第11章17節 

    

 「異邦人も神の言葉を受け入れた」、すなわち、ユダヤ人以外の人がキリストの福音を聞いて信じて受け入れ洗礼を受けたという知らせが、エルサレム教会の使徒たちと信者たちに伝わり、彼らが驚きました。その当時、まだキリストの福音を知るはユダヤ人だけに限られていて、異邦人には伝わっていなかったからです。しかも、ユダヤ人は自分たちが神から選ばれている民であり、割礼と律法を重んじていてそれを守る人としか交際をしていなかったからです。それなのに、使徒ペトロがローマ人の所に行き、彼らと交わったことを聞いて彼らは非難したのです。

 

そこで、ペトロは、非難する人々に、自分がどうしてローマ人のところに行ったのかを順序正しく弁明しました。自分が見た幻、霊の導き、ローマ人が受けた神の使いの指示があったゆえに、彼らの所に出かけて行ったことを語りました。主の示しに従って、ペトロが彼らにキリストの福音を伝え始めると、何と彼らに聖霊が降ったのでした。ペトロたちにペンテコステの時に聖霊が降ったと同じように、聖霊がこのローマ人の上に降ったのです。ユダヤ人キリスト者だけでなく、異邦人でキリストを信じる者にも同じ聖霊が降ったことということは神のなさった御業です。異邦人をも救われるように神さまが働かれたのです。

2018年11月4日 礼拝説教要旨

 すべての人の主

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第10章34-48節

 

 

主題聖句:「この方こそ、すべての人の主です」

    使徒言行録 第10章36節

 

 今日の箇所は、使徒ペトロが今ようやくはっきりとわかったこととして、ローマ人コルネリウスとその家族と友人たちに対して、イエス・キリストの福音を語っている個所です。ここには、イエス・キリストの福音が短く手際よくまとめられています。

 

第1のポイントは、「神がイエス・キリストによって平和を告げ知らされた」と語ります。神から遣わされたナザレの人イエスが油注がれた者として、人々を助け、苦しめられている人たちをすべて癒される業をなさいました。

 

第2点として。人々はイエスを救い主と認めることができず、木にかけて殺してしまいました。神に呪われたもの(申命記21:23)として殺されました。イエスが殺されたのは、イエスを殺そうとする人々の罪に対する神の呪いを身代わりに引き受けて死なれたのです。神に呪われたイエスを、神は捨てて置かれず、三日目に復活させられて、人々の前に現されました。ペトロと弟子たちに現れて彼らを受け入れられました。

 

第3点は、この方を信じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられるのです。イエスを自分のための救い主として信じるならば、それだけでその人の罪が赦されるのです。

 

この福音こそ、神を知らず聖書を知らずに生きていた異邦人や日本人にとって救いの言葉ではないでしょうか。

 

2018年10月28日 礼拝説教要旨

 神の言葉を聞く姿勢

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第10章23b-33節

 

 

 

主題聖句:よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」

       使徒言行録 第10章33節

 

私たちが集会にお招きする方が、初対面の場合、その人はどんな方だろうか、緊張と不安を覚えながらも、できるだけ丁重にお迎えするのではないでしょうか。今日の箇所で、神の使いからペトロを招くように指示されたローマ人コルネリウスも、いざそのペトロが自分の家に到着したとき、緊張だったでしょう。その歓迎のあいさつが上記の言葉です。

 

初対面のお客様を歓迎するように「よくおいでくださいました」と挨拶した後、「今わたしたちは皆…聞こうとして、神の前にいるのです」と語りました。コルネリウスは意識して神の前に近づいているのだと言うのです。自分の前に神がおられ、その神の前に自分が近づいているのです。だから、自分だけでなく、家族も友人も揃って聞こうとしています。では何を聞こうとしているのかというと、「主はあなたにお命じになったことを残らず」です。すなわち、主キリストに導かれ、主キリストを信じるペトロに、主キリストが伝えるように指示されたことを聞きたいのです。ペトロ自身が主キリストから聞いたことを自分も聞きたいのです。そのように彼は謙虚に期待して受け止めようとしました。

 

その姿勢は、私たちも学ぶべき姿勢です。私たちも神の言葉を聞く時、コルネリウスのように神様を前にして、神様の言葉として受け入れますので、語ってくださいという姿勢で期待し聞く者でありたいものです。

2018年10月21日 礼拝説教要旨

 感謝するサマリア人

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第17章11-19節

 

 

主題聖句:その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。     

使徒言行録 第10章15、16節

 

人が自分に対して直接、ありがたいことをしてくれたなら、何かお礼をするというのが世間の常識でしょう。実は、私たち自身、神様から大きな恵みや沢山の祝福を受けています。けれども、その恵みが大きすぎるからでしょうか。その恵みに対して、神様に対して心から感謝をささげるということがおろそかになっていることはないでしょうか。

 

今日の聖書箇所に、重い皮膚病で長い間苦しんでいた10人の人たちが、主イエスにお願いし、10人共に癒されたはずなのですが、10人のうち一人だけ主イエスのところに戻って来て感謝をしたとあります。どうして、一人だけが戻って来て感謝をしたのでしょうか。

 

この一人は、自分がいやされたのを知ったからでした。しかも、これは神様がしてくださったことだと知ったからでした。主イエスというお方が、まことの救い主であり、このイエスを通して神さまが自分を救ってくれたと知ったから神を賛美したのです。しかも、自分がサマリア人というユダヤ人から見下されているものなのに、こんな自分が救ってもらえたと知ったからです。だから、彼は神を賛美しながら引き返して、主イエスに直接感謝をささげたのです。その感謝する態度を主イエスはご覧になって「あなたの信仰があなたを救った」と励まされました。私たちも、私を救ってくださった主を感謝する信仰を持ちたいものです。