2023年11月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.45 新しい時の始まり

 彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。

マタイによる福音書 第11章12節

 

洗礼者ヨハネが語ったメッセージは何でしょうか。「悔い改めなさい。今までの生き方から方向転換してこれから来られる救い主によってもたらされる天の国に入れる備えをしなさい」と語りました。

イエス様のメッセージは、「悔い改めなさい。天の国は近づいた」です。ヨハネとイエス様のメッセージは一緒です。違いはヨハネの務めは、救い主を紹介することであり、イエス様の務めは、十字架による救いを成し遂げることです。

洗礼者ヨハネが活動をし始めてから、天の国は力ずくで襲われているとはどういう意味でしょうか。この事をルカによる福音書16:16では「それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。」と表現されています。神の国がヨハネの宣教によって、イエス様によってこの世にやって来ているのです。イエス様の福音が力強く宣べ伝えられ、神の国は力強くこの世にやってきているのです。人々はヨハネの説教に出会い、メッセージを聞いて心動かされて、ヨハネのメッセージを信じ、神の国に入ったのです。

イエス様は十字架で命まで捨てて救いを与えようとされました。与えようとされる神の国を心から求めるようにイエス様は勧めておられます願う者は、それを

2023年10月29日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.44  救い主への疑い

  尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」           

                           マタイによる福音書 第11章3節

 

洗礼者ヨハネは領主ヘロデに捕らえられて、牢獄の中にいました。そこで深い疑問に苦しんでいました。自分が、イエスこそメシアであると声高らかに証ししたのに、弟子たちを通して伝えられる、イエスのなさったみわざを聞く度に、イエスがメシアであることが、ぐらついてきたのです。なぜかと言うと、イエスの実際になさっているみわざや言葉は、ヨハネの思い描き、実際に口に出して語って来た救い主のあり方と違っているからです。

ヨハネが語ったメシアは、自分のあとに来る方、厳しく神の裁きをなさる方だと伝えていたのです。罪を糾弾する厳しいキリストです。しかし、このイエスは決定的な裁きをお語りにならない。メシアの到来にふさわしい驚くべき出来事が起こっていない。このイエスは、自分がひたすら求めていたメシアであろうか、その疑問を、ヨハネの弟子たちを通して、イエス自身に問うたのです。

イエスの答えは、「行って、自分たちが見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き…貧しい人は福音を告げ知らされている。」このような驚くべき出来事がイエスにおいて実際に起こっていることに目を留めよと、イエスは言われます

2023年10月22日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.43  主にふさわしい者

  わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。           

マタイによる福音書 第10章37節

 

このみことばに接するとき、多くの人々は戸惑いを感じるでしょう。主イエスの語られた言葉としてはあまりにも突飛と思われるからです。

この主イエスのみ言葉の背後には、主イエスご自身の血みどろの体験があったのです。主イエスはユダヤ教的な家庭の中で生まれ育ち、神に仕えることと同様に両親に仕えられました。しかし、救い主としてみ父に従って歩み始めたとき、神に仕えることと親に仕えることが必ずしも一致しなくなりました。父なる神の御心に従って歩もうとされるとき、それはさらに著しくなりました。主イエスの母や兄弟も主イエスを理解できなくなっていき、主イエスは大変苦悩されたと思います。そのような肉親の情愛を経験された主イエスが「自分の家族の者が敵となる」と語られるのです。このみ言葉の一語一語に主イエスの苦悩を見ます。

信仰の道を進もうと決心しても、肉親の反対にあって決心が揺らぐ場合もあります。しかし、ここも主イエスが体験され、主イエスが通られた道です。肉親の情愛は、突き詰めれば自己中心的な愛です。それが応えられないと、激しい怒りと憎悪に変わります。このような情愛を乗り越えてキリストに従うことが求められています。家族の愛はありがたいですが、主イエスの救いはもっと大事ですから、従いましょう。