投稿者: matsuyama-allian
2021年12月19日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.51 救い主の誕生
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ルカによる福音書 第2章7節
救い主イエス様のご降誕をお祝いするクリスマス礼拝の日を迎えました。大切な御子を私たち人間のところにお送りくださった天の神様に感謝をささげましょう。
2千年前、天使からマリアは恵みによって聖霊により神の子を身ごもって産むという御告げを受け、それをへりくだって信仰をもって受け入れたときから、マリアと夫ヨセフは様々な苦難を通りました。
その一つが、皇帝の発した、住民が皆、自分の出身地において住民登録をせよとの勅令でした。それまでナザレにいた二人は、思いがけずヨセフの出身地ベツレヘムに行かなければならなくなりました。危険の伴った長旅の末、やっとベツレヘムに着いた二人に「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のです。どの宿屋も一杯で、やむを得ずあてがわれた場所は馬小屋でした。そこにいる間にマリアはその子を産みました。そして、神の御子としてお生まれになる子が馬小屋の飼い葉桶の中に寝かされることになったのです。それほどにベツレヘムの町の人々も宿屋の主人も、自分のことに忙しく、彼らを気遣う余裕もなかったのです。
でも、神の御子が人となってお生まれになった場所が飼い葉桶であったことは、このお方のこれからの人生にふさわしい場所でした。
2021年12月12日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.50 主の道を整えよ
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、
マルコによる福音書 第1章3、4節
アドヴェント第3主日の主題は、主の道を整えよです。丁寧に言うと、救い主の到来を知らせる先駆者の声を聞いて、救い主をお迎えする備えをするということです。
マルコ福音書は、福音の始まりは洗礼者ヨハネの活動によってであると告げます。預言者イザヤの預言通りに、荒野に洗礼者ヨハネが現れて救い主を迎える備えをしたと告げます。
そのイザヤが語った当時のユダヤの人々の状況は、大国バビロンによって国を滅ぼされ、異国バビロンの地で荒れ野のように荒れ果てて苦しんでいたのです。その彼らにイザヤは、神が帰って来られるから、心を開いて、神の方に向きを変えて近づこうと呼びかけました。そのとおりに、洗礼者ヨハネは荒れ野に現れ、罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。まもなく神のさばきが来る、救い主がお出でになる。罪をゆるしていただくために自分の罪を悔い改めなければならないと伝えたのです。このようにヨハネは救い主の到来を知らせ、このお方を迎えるように呼びかけたのです。ですから、今日の私たちも、この勧めに従い、悔い改めて、救い主を心にお迎えしましょう。
2021年12月5日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.49 神の言葉を聞きなさい
ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。
エレミヤ書 第36章3節
待降節第2主日の主題は、神の言葉を聞くことです。
主イエスが来られる前、私たち人間は預言者を通して神の言葉を聞いていました。しかし、人々は預言者の伝える神の教えや警告を素直な心で聞くことができませんでした。預言者を通して、人々に対して、あなたは危ない悪い道に向かっている、だから、神に立ち返れと呼びかけても聞こうとしませんでした。そればかりか、預言者をうるさがり、遠ざけて、排除しました。今日の箇所に登場するエレミヤに対しても、人々は、その語る神の言葉を聞かないで、いじめてしまいました。
エレミヤは、神は人間と良い関係となるように私たちを愛し、恵もうとしておられることを伝えます。でも、彼らは神にではなく偶像に頼り欲望のままに生きていたので、それで神はエレミヤを通して、神の裁きを告げ、神に立ち返るよう呼びかけます。でも、人々はエレミヤをうるさがり、閉じ込めて語れないようにしました。そのために、エレミヤはバルクという弟子に神の言葉を巻物に書かせて、それを神殿で読ませました。しかし、人々は従わず国は滅びてしまいました。それでも神は人間を思い、御子イエスを人となった神の言葉として遣わされたのです。
2021年11月28日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.48 目を覚ましていなさい
わたしに聞け 正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。
イザヤ書 第51章7節
クリスマスの出来事は、何の前触れもなく、突然起こったことではないのです。旧約の昔に、預言者たちが、人々に救い主がお出でになるという神の約束の言葉を預言し、人々に来るべき救い主の来臨の希望を伝えていたのです。その預言を聞いた人々は、目の前の苦しみの中で、その約束を希望としてその時を待ち続けたのです。そのように待ち続ける彼らのもとに救い主がお生まれになられたのです。
旧約の人々がどのような思いで救い主を待望したのかを覚えたいのです。今日開かれたイザヤ書51章は、南ユダ王国も大国バビロンによって滅ぼされて、多くの人々が異国の地に連れていかれ不安と絶望の中にあった時に、預言者に示された、大いなる慰めの言葉です。
人にではなく「わたしに聞け」と神は語られ、神の語る教えに心をとめるように勧めます。神はその語られる言葉に基づいて彼らを救おうとされたのです。それゆえ、預言者イザヤは、神に向かって、神が奮い立って力をまとって神の力強い御腕で、昔、自分たちを救ってくださったように、今、自分たちを救ってくださいと叫ぶように求めています。そうしてくださると信じて待つのです。
私たちも神に心を向け、神の救いを待ち望む思いでクリスマスを待とう。