2022年1月9日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.2 求めなさい

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

                      マタイによる福音書 第7章7節

  

 この言葉は、文語訳「求めよ、さらば与えられん」という言葉で、教会以外の人々にも一般に知られています。どんなことでも熱心に求めたら与えられるという意味にとって、人々に勇気を与えてくれています。

でも、どんなことでも求めたら必ず与えられるのかというと、実際のところ、自分の利己的な要求だけを求めたとき、必ずしも与えられなかったという経験をした人は多いのではないでしょうか。どうも、この教えは、どんなことでも求めたら与えられるのではないようです。

この言葉には、何を求めるべきかを記していませんが、何を求めるべきなのかを、この箇所の前後関係から、推察しますと、この山上の説教において主イエスがこれまで教えて来られたことが、神を信じ、神の前に正しく生きる信仰ですから、それを私たちに最も必要なこととして求めるべきであるようです。それを頂くためには神の助けと恵みが必要です。私たちは、神様の恵みがありがたいとは思っても、自分には、それがない、それが必要だと、私たちは自覚しているでしょうか。そう気づいてあきらめないで求め続けるべきなのです。

この求めを聞いて下さるのは、神様です。私たちを愛し、救ってくださる父なる神です。私たちに良いものを与えて下さいます。求めよう。

2022年1月2日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.1 自分の父の家にいる

すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」   

ルカによる福音書 第2章49節 

 

 昨年のクリスマスに、人となってお生まれになった神の御子イエス様のお誕生をお祝いしました。そのイエス様がどのように成長されたのか聖書から教えられたいと思います。そのイエス様がどのように成長し大人になられたのか聖書にはほとんど記されていません。ルカによる福音書にわずかだけ記されています。

今日の箇所に両親が少年イエス様を連れてユダヤの慣習に従って都エルサレムに上り、神殿で礼拝をささげたときのことが記されています。祭りの期間が終わって帰路に着いたとき、少年イエス様はエルサレムに残っておられましたが、両親はそれに気づかず帰ってしまっていました。その日の夜、そのことに気づきあわてて探し、3日もかかってエルサレムに戻って、まさかの場所でイエス様を見つけました。

それは神殿で、イエス様が学者たちから聞いたりしていたので、両親は驚き思わず小言を言いました。それに対するイエス様の答えが上記の言葉です。この言葉は両親の子どもとしての立場を超えたものです。神の御子として、神をご自分の父と呼ぶことがおできになっています。わたしの父のおられる所にいて、父のわざをすることを当然だと言われました。私たちにとっても、教会は私たちの神がおられ、祈るところ。

 

2021年12月26日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.52 救い主に会う喜び

 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。        

マタイによる福音書 第2章11節 

 救い主が生まれたことを知って、お会いして礼拝したくて、はるばる遠い国から会いに来た人たちがいました。それは占星術の学者たちでした。彼らはエルサレムに行けば何か手掛かりがあると思いました。ヘロデ王は大変不安を抱きました。民の指導者たちが、聖書からそれはベツレヘムだと伝えました。それで、彼ら学者たちは教えられた通りにベツレヘムに向かったとき、東方で見た星が先立って進み、幼子のいる家に導いてくれたのです。彼らが喜んでその家に入ったとき、母マリアと共にいる幼子を見ました。そしてこの幼子こそ、ユダヤ人の王としてお生まれになった救い主と確信したのです。

それで、彼らは幼子にひれ伏して礼拝し、宝の箱を開けて用意してきた贈り物を差し出したのです。彼らのささげた「黄金、乳香、没薬」は、彼らの持っている中で最も高価な物です。その高価なものをささげることによって、彼らは自分自身を主イエスにささげたのです。

私たちも、神様から多くの愛、大きな救いを頂いています。このお方によって守られ、沢山の祝福を頂いています。このお方に愛され、救いを頂いたことを覚えて、感謝と賛美をささげたいものです。