2022年4月24日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.17 平和があるように

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

                      ヨハネによる福音書 第20章19節

 

 今日も復活された主イエス・キリストを覚えたいと思います。

主イエス・キリストが復活された日の夕方、弟子たちがユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて家の中に閉じこもっていたところ、そこへ復活された主イエスが入って来られ、真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。

「平和があるように」。この言葉はヘブル語で「シャローム」と言い、平和、健全、安寧、繁栄という豊富な意味が含まれた言葉です。日常のあいさつに使われた言葉です。でも、主イエスがここでこの言葉を使われたのは、ただ挨拶の意味だけではなく、その言葉の示す「平和」が本当にあるようにとの祝福する意味で使われたと思われます。

それは、彼ら弟子たちが、女性の弟子たちの言う「主を見た」との証言が信じられず恐れていたからです。恐れる彼らに本当の平和を与えようとされたのです。この「平和」を与えるという約束は主イエスが十字架にかかられる前夜、最後の晩餐の席で語られた言葉でした。主イエスの両手と脇腹の御傷を見せられたとき、彼らは喜びに変わり平和を得た

2022年4月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.16 あの方は復活なさった

 

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 

                       マルコによる福音書 第16章6節

 

 今日は主イエス・キリストの復活を喜びお祝いするイースターです。十字架にかかられて死なれた主イエスが、神の全能の御力によって復活されたのです。

人は必ず死にます。死んだら葬られます。主イエスも十字架刑に処せられて確かに死なれ墓に葬られました。ですから女性の弟子たちは主イエスのためにできることは今一度ご遺体に香料を塗って差し上げることくらいと思い、週の初めの朝早くその墓に近づいたのです。その墓に行ったらそこには主イエスの体がなかったのです。そこにいた青年から、

「あの方は復活なさって、ここにおられない」と告げられました。さらに弟子たちとペトロに「あの方はあなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と伝言するように命じられたのです。しかし、彼女たちには、この青年の伝える主イエスの復活を信じられず、恐れて墓を出て逃げ去りました。全く受け止められなかったのです。

しかし彼女たちは恐れて墓を出て弟子たちに伝えて行く中で、主イエスの復活の事実に励まされ、その事実を私たちにも語りかけるのです。

2022年4月10日 礼拝説教要旨

 

きょうどう-2022年 No.15 御心が行われますように

こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 

                       マルコによる福音書 第14章36節

 

 主イエス・キリストの御苦しみを覚える受難週に入りました。主イエスと弟子たちはエルサレムに入城され、木曜の夕、一緒に過越の食事をされた後、彼らは神を賛美しながら、ゲッセマネという所に行かれ、主イエスは祈りの時を持たれました。そこで、主イエスはひどく恐れてもだえ始められました。深い不安の中で悩み苦しみ始められたのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい。」そう語り、伴っていた3人の弟子たちに祈りを求めました。主イエスは少し進んで行き、地面にひれ伏し、できることならこの苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られたのです。

これまで主イエスはどんな時にも気丈にふるまわれたのに、今は打って変わり弱々しく恐れ深い苦しみの中で、この苦しみの時、すなわち、人間の罪ゆえに神から下される神の裁きを自分が負うことを思い、それが自分から過ぎ去ることを祈られます。「しかし…御心に適うことが行われますように」と祈られました。この霊的な葛藤を経験する中、ついにご自分が神の裁きを受けることを御心と受け入れ進んで行かれます。