2022年6月19日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.25  義とされた者の祝福

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

                ローマの信徒への手紙 第5章1節

 

信仰生活には、何度も押さえようとしても、口をついて出てくる叫びがあります。自分が救われ生かされていることの喜びです。苦しいことがあっても、救われているという喜びです。ローマの信徒への手紙の中に、このような叫び声が何度か聞こえてきます。今日の箇所にもそのようなパウロの喜びの叫びが語られています。

パウロは、4章までを振り返り、「信仰によって義とされたのだから」と語っています。私たちは神に逆らい罪を犯して裁かれてもおかしくなかったのに、神は御子キリストを私たちの身代わりにして十字架で裁かれました。このキリストの救いの御業によって無償で私たちを義とされたのです。神との正しい関係にされたのです。キリストのなさった御業を私のためにしてくださったと信じる時、義とされるのです。このように信仰によって神と正しい関係にされるとき、私たちは神との間に平和を得ているのです。それまで神に背いてばかりの私たちは、神に対して敵対していたのですが、御子キリストの救いの御業によって神と和解させていただいたのです。神と平和な状態になったのです。私たちの心に平安、安心が与えられているのです。神との間に平和を頂いている祝福を今一度感謝しよう。

2022年6月12日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.24  子どものように信じる

しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

  マルコによる福音書 第10章14節

 

本日は、「こどもの日」「花の日」という教会の記念日にふさわしいこととして、礼拝で子どもの祝福を祈る時を持とうとしています。そういうことで、子どもを祝福するとはどういうことかを学びたいと思います。今日の箇所で、主イエスに触れて頂こうと、親たちが子どもたちを連れて来ました。主イエスはそれを喜ばれ、その子供一人一人を抱き上げ、手を置いて祝福されたとあります。主イエスが子どもたちを祝福されたことで、親も子も大いに励まされたことと思います。

その時、弟子たちはこの親子たちを叱って追い返そうとしたのです。主イエスは多くの人々に教えておられてお忙しいから、騒がしい子どもたちが近づくのは邪魔だろうという弟子たちの判断でした。しかし、主イエスはそれを見て憤り、弟子たちに注意しました。子どもたちを追い返すな、来させよ。主イエスは子どもたちを受け入れておられたのです。それは、主イエスがいつも教えておられる「神の国」は、このような子どもたちのものだからなのです。神の国、神様が治めるご支配は、子どもたちがいるところです。神は子どもたちを受け入れておられるのだから、子どものように神の支配を受け入れよと教えられたのです。

2022年6月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.23  聖霊が降(くだ)る

すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。            使徒言行録 第2章4節

 

本日は、教会の誕生を記念する聖霊降臨日です。五旬祭(ペンテコステ)とは、過越祭から50日目でユダヤにおいて小麦の刈入れを終えて、その収穫を感謝する祭でした。自然の恵みに感謝する五旬祭の日に、イエス・キリストの弟子たちに約束の聖霊が降り、聖霊に満たされた弟子たちが大胆にキリストの御業を語り始めたのです。この恵みが与えられて、イエス・キリストを信じる人々が起こされて、信じる群れが誕生したのです。この時キリスト教会が誕生したのです。

復活された主イエスが天に上げられるとき、主イエスは聖霊を送ることを弟子たちに約束されました。それで彼らは皆、一つ所に集まって聖霊を祈り待っていました。そしてこの五旬祭の時も、集まって祈っていたところ、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまりました。すると、一同が聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに他の国の言葉で話し出したのです。まさに聖霊の御業です。

その物音を聞き受けて集まって来た人々は、そこで弟子たちが大胆に自分たちの故郷の言葉で神の御業を語るのを聞いて非常に驚いたのです。この伝道によってキリストを信じる人々が起こされていくのです。