投稿者: matsuyama-allian
2022年7月10日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.28 アダムとキリスト(2)
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとす
れば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一
人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
ローマの信徒への手紙 第5章17節
神様が私たち人間にお与えくださる救いはどのようなものなのでしょ
うか。その救いの大きさを明らかに示すために、パウロは、人間の中
に、罪が入ったために、すべての人に死が及んだとまず語り、次にキ
リストのことを語ります。キリストによって神の恵みが私たち人間に
及んだというのです。
キリストのもたらした恵みの賜物は、最初の人間のもたらした罪と
は比較にはなりません。アダムの罪は人を死に至らせましたが、
キリストの恵みは救いに至らせたのです。キリストの恵みの方がは
るかに大きく、豊かなのです。その恵みがどんなに豊かなのかとい
うと、恵みのもたらす影響力において豊かです。罪が人にもたらし
たものは有罪判決ですが、キリストの恵みが働くとき、罪が多くて
も、無罪とされます。(16節)
キリストの恵みによって生き、支配するようになるのです。(17節)
キリストの救いによって義とされ、命を得ることになるのです(18節)。
キリストの従順によって多くの人が神の前に正しいものとされるのです。
(19節)罪が増したところには恵みもなお一層満ち溢れるのです(20節)。
2022年7月3日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.27 アダムとキリスト(1)
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
ローマの信徒への手紙 第5章12節
私たち神様を信じる者は、キリストの救いによって罪赦され、死を恐れず、神のいのちに生かされていると信じています。しかし、私たちは人間ですから、いつか必ず死を迎えるという現実の中にあります。肉体はだんだん衰え、先が見えてきます。けれども、キリストの救いを頂いているので、死を恐れるのではなく、死を考える時もキリストの恵みの中で考え、死から解放されていることを覚えることができます。
今日の箇所ローマ5:12~14節で、パウロは、罪が世に入ったのは、一人の人による。最初の人アダムの犯した罪によると語ります。創造主はアダムに一つの戒めを与え、守るように命じていたのですが、アダムは、それを食べると神のように善悪を知るようになるというヘビの誘惑にそそのかされて神に逆らい、その責任を他人に擦り付けました。その結果、神から裁かれ、人間はそのような罪の性質を持つものになりました。その結果、罪によって死が入り込み、死がすべての人に及んでいます。人は罪のために死ななければなりません。アダムは、私たち人間の罪と死を表わす存在ですが、それだけでなく、「来るべき方」、キリストの救いを示す型でもあります。キリストの死によって私たちは罪と死から解放されるのです。
2022年6月26日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.26 神の愛
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
ローマの信徒への手紙 第5章6節
前回、ローマ5:1~5で、神を信じて、その信仰を神様から義と認められた者は、神との間に平和を持ち、神の栄光にあずかる希望を誇りとしていると、パウロは語りました。そればかりでなく、苦難も誇りとします。苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む。この希望は私たちを欺くことはないと語りました。
今日は、その続きで、この希望は、神様が私たちに注がれる神の愛に根拠を持った希望であると明らかに示しています。
この希望が、私たちを欺くことがない。私たちを辱められることはない。それはなぜかと言うと、神の愛が私たちの心に注がれているからです。神様が私たちを愛してくださっていることが確かなのです。神さまの私たちへの愛がわかるように、私たちの心に注がれています。イエスを救い主と信じる時に聖霊が私たちの心に与えられます。この聖霊が、神様が私たちを愛してくださっている愛を、私たちの心にわかるように注いでくださっているのです。この神様が私たちを愛してくださっていることがどんなに確かなものであるかについて、パウロは、こう言います。キリストは、私たちが弱く、罪人であった時、私たちの代わりに死んでくださったと。