2022年9月4日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.35 二つの自分

   わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

ローマの信徒への手紙 第7章15節

 

  今日の御言葉は、使徒パウロが自分の告白と言う形で真実に生きようとして生き切れない人間の姿を恐ろしいまでにリアルに描き出したものです。この御言葉を通して私たちは自分自身の裸の姿が白日の下にさらされていると感じます。14節で「律法は霊的なものである」、神の霊にあらわされた神のきよい意思を表したものです。その律法が私たちに示されてもそれに従うことができません。私たちがいかに肉の人であることが浮き彫りにされます。律法が正しいものとわかっていても、人間は罪の力に支配され、律法の命じることをすることができないのです。

「わたしは、自分のしていることが分かりません」。自分が律法の示す正しいことに従いたいと思っているに、実際の生活はそれとは正反対の望まない悪、憎んでいることを行っているのです。それがなぜかわからないというのです。このような行動に人間をさせてしまうのは、人間の内に住みついている罪だとパウロは指摘します。人間が罪に乗っ取られて、生活の軌道を踏み外してしまいます。欲望などに突き動かされて自分を制御できないでいます。こうして神の掟に従って生きようとする思いと、それに対抗して生きようとする思いが激しくぶつかり、戦っています。この闘いの中で苦しむ私たち。キリストが私たちと共に闘ってくださるのです。