2022年4月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.16 あの方は復活なさった

 

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 

                       マルコによる福音書 第16章6節

 

 今日は主イエス・キリストの復活を喜びお祝いするイースターです。十字架にかかられて死なれた主イエスが、神の全能の御力によって復活されたのです。

人は必ず死にます。死んだら葬られます。主イエスも十字架刑に処せられて確かに死なれ墓に葬られました。ですから女性の弟子たちは主イエスのためにできることは今一度ご遺体に香料を塗って差し上げることくらいと思い、週の初めの朝早くその墓に近づいたのです。その墓に行ったらそこには主イエスの体がなかったのです。そこにいた青年から、

「あの方は復活なさって、ここにおられない」と告げられました。さらに弟子たちとペトロに「あの方はあなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と伝言するように命じられたのです。しかし、彼女たちには、この青年の伝える主イエスの復活を信じられず、恐れて墓を出て逃げ去りました。全く受け止められなかったのです。

しかし彼女たちは恐れて墓を出て弟子たちに伝えて行く中で、主イエスの復活の事実に励まされ、その事実を私たちにも語りかけるのです。

2022年4月10日 礼拝説教要旨

 

きょうどう-2022年 No.15 御心が行われますように

こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 

                       マルコによる福音書 第14章36節

 

 主イエス・キリストの御苦しみを覚える受難週に入りました。主イエスと弟子たちはエルサレムに入城され、木曜の夕、一緒に過越の食事をされた後、彼らは神を賛美しながら、ゲッセマネという所に行かれ、主イエスは祈りの時を持たれました。そこで、主イエスはひどく恐れてもだえ始められました。深い不安の中で悩み苦しみ始められたのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい。」そう語り、伴っていた3人の弟子たちに祈りを求めました。主イエスは少し進んで行き、地面にひれ伏し、できることならこの苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られたのです。

これまで主イエスはどんな時にも気丈にふるまわれたのに、今は打って変わり弱々しく恐れ深い苦しみの中で、この苦しみの時、すなわち、人間の罪ゆえに神から下される神の裁きを自分が負うことを思い、それが自分から過ぎ去ることを祈られます。「しかし…御心に適うことが行われますように」と祈られました。この霊的な葛藤を経験する中、ついにご自分が神の裁きを受けることを御心と受け入れ進んで行かれます。

 

2022年4月3日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.14 仕えるキリスト

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

                      マルコによる福音書 第10章45節

 

 主イエスは毅然とした態度で都エルサレムに向かっておられました。その姿に驚く弟子たちに、再びご自分の身に起ころうとしていることを話し始められました。宗教指導者たちに引き渡され、死刑を宣告される。異邦人から侮辱され、殺されると、具体的に予告されたのです。

それでも、受け止めることができない弟子たちに「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と説明されました。

「身代金」は、例えば外国人に何かの事情で身を売って奴隷になったへブル人を買い戻す時の条件として支払う代金です。奴隷となっているその人には、奴隷のままなら自由はない。でも身代金が支払われるなら自由と解放がある。そのように、私たち人間も、神の前に罪を犯してしまっていて、その罪の報いを払わなければならないのです。そのままなら神から裁かれます。しかし、神はそんな私たちを見捨てられず、この主イエスを送られたのです。この主イエスが、私たち人間を償うために、私たちの身代わりにご自分の命をささげて神のさばきを引き受けてくださったのです。この主イエスの払ってくださる愛と犠牲によって私たちは救われたのです。このお方の愛と犠牲を覚えて仕えていこう。