2011年11月27日 礼拝説教要旨

主題聖句 「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」   

フィリピの信徒への手紙第2章6節

説教主題 「人となられた神」

 今日から待降節の礼拝を守ります。クリスマスの季節はイエス・キリストがどのようなお方であるかを深く思い巡らすときです。

 ナザレにお生まれになり、宣教してのち、十字架にかけられ、甦られた主イエスを「真の神にして、かつ同時に真の人」とキリストの教会は最初から言い表してきました。これが教会の信仰告白です。このフィリピの信徒への手紙も「キリストは神の身分でありながら」と言っています。

 真の〝神であることをおやめになることなく〟人となられ、さらに〝神のままで〟十字架にかかられ、死んで甦られました。その間も終始神であることを貫かれたのです。

 人間を救うために辿られた救い主の道筋は、父なる神がお決めになったといえるでしょう。その道をまるでお芝居を演じるようにキリストは何の苦もなくこなしてゆかれたとは思えません。荒野で40日悪魔から試みを受け、ゲツセマネでは血の汗を流して祈られました。さらに十字架の上で「神はなぜ、お見捨てになるのか」と叫ばれたのです。このように神のご意志に従うために激しく戦っておられるのは明らかです。

 救い主として地上にお生まれにならなければ、このような戦いを経験なさることも無かったでしょう。人の救いのためには大きな犠牲が必要です。救いのために犠牲を払わないで済む「神の身分」「神と等しい者」を主イエス・キリストはお考えになりません。自ら進んで、犠牲になることを引き受けてくださったのです。神のご愛を思わずにはおれません。

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