2022年7月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.29  新しい命に生きる

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。          

ローマの信徒への手紙 第6章4節

 

主イエス・キリストが、私たちの代わりに十字架で命を犠牲にして私たちの罪の罰を受けてくださいました。この救いを私のためだと信じ受け入れる時、私の罪が赦されるのです。私の罪が赦されるということは、罪に対して死んだということです。罪の支配から解放されたのです。

罪に対して死んだ私たちであるということは、どういうことか、洗礼という礼典の意味を知ることによって理解してほしいというのです。

洗礼は、元々は全身を水の中に沈める礼典です。キリストが十字架にかかって私たちの罪を背負って死んでくださったことを信じて、水の中に身を沈めるとき、信仰によってキリストの死の中に引き入れられ、私も死んだものとみなしていただけるのです。今までの自分が葬られ、古い自分はキリストに結び合わされて死ぬのです。キリストは神の御力によって死より復活されました。それゆえこのキリストを信じて、水から上げられるとき、信仰によってキリストと共に新しく生まれ変わった自分になるのです。罪の身が死んで、新しい人間として生きるのです。キリストを信じて洗礼を受ける時、私たちはキリストと共に生きるようにされるのです。