2015年1月4日 礼拝説教要旨

ひとり子を賜う愛

 

政所 邦明 牧師

 

ヨハネによる福音書 第3章16-21節

 

主題聖句:「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

(ヨハネによる福音書3:16)

                                    

この、みことばは前後の文脈から切り離して暗唱されることが多いのです。しかし、14,15節と16節とを繋げて読むのが優れた理解だと思います。15,16節に共にあるのは「永遠の命を得る」で、両節の関連を示しています。

 

ただ14節の言葉は、民数記第21章4節以下の出来事を知らねばなりません。約束の地を目指して40年間、旅をしていたイスラエルの民は、不信仰を起こし神に反抗します。そのため、神は〝炎の蛇〟を送られ、蛇が噛んだために、多くの民が死んでしまいました。民は悔い改め、神に救いを求めます。すると神は答えられました。…青銅で蛇を鋳造し、それを旗竿の先に掲げなさい。青銅の蛇を仰ぎ見る者は、実際の蛇に噛まれても命を得る…。

 

わたしたちはイエス・キリストの十字架と復活を知っています。十字架にかかられたイエス・キリストを仰ぐと救われ、永遠の命が与えられると信じているのです。“旗竿に掲げられる”青銅の蛇と、十字架に掛けられ、死んでいかれるイエス・キリストの姿とを重ねなさいと言われるのです。

 

生まれながらのわたしたちは体の中に毒をいっぱい抱えています。そのままでは、滅びてしまうのです。鋳造した青銅の蛇ではなく、わたしたちの救いのために御独り子イエス・キリストを十字架に架けられました。〝十字架に上げられねばならない〟(14節)のです。ほかに方法はありません。もしあったらなら、どうして愛する御子を差し出したりなさるでしょうか。神の造られた人間が滅びて良いなどと少しも考えておられません。だから最大の宝物である御子を与えてくださいました。ここに神の愛が示されたのです。

2014年12月28日 礼拝説教要旨

イエスの家族とは

 

政所 邦明 牧師

 

ルカによる福音書 第2章22-35節

 

主題聖句:「-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます-多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」      

ルカによる福音書第2章35

                                    

誕生40日目に、エルサレム神殿に、主イエスをマリアとヨセフとは連れてゆきます。するとシメオンという人が待ち構えておりました。抱いて祈ってもらうことを期待したのでしょう。両親は幼子をシメオンの腕に委ねます。主イエスを抱いたシメオンは神を讃美する一方で、母マリアに対しては、恐ろしく不吉な預言をします。「剣で心を刺し貫かれる」というものです。体だけではなく、心の痛手をも意味するのでしょう。

 

天使のお告げから始まって、ベツレヘムで赤ちゃんを産むという経験をします。恥ずかしさと行く先の不安はマリアにあったかもしれません。しかし、赤ちゃんを授かったこと自体には喜びを伴ったでしょう。神のご配慮で、ヨセフの協力が得られ、許嫁であった男性とともに新家庭を築くことができたことも幸いだったはずです。

 

ところが、ベツレヘムの飼い葉桶の周りに突然、羊飼いたちが入ってきます。さらには東の国の占星術の学者たちがやってきて、拝礼までしてゆきます。受胎告知の時、天使が語ったとおりだと言えばそれまでです。しかし、訪問者が次々に現れ、讃美や拝礼をしてゆく様子を目の当たりにすると、マリアは喜ぶより、戸惑い、恐れることの方が多かったのではないでしょうか。

 

普通の母親-息子の関係を超える信仰をマリアに求められます。腹を痛めた息子へ、母としての情愛があるのは当然です。しかし、御心として愛する息子が十字架に進むのを受け入れるには、胸を断ち割られる苦しみを乗り越えなければなりません。シメオンの預言はマリアには挑戦だったのです。