2017年9月24日 礼拝説教要旨

大胆に神の言葉を語る

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章23-31節

 

主題聖句:主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。

                 使徒言行録 第429

 

 キリストを信じる信仰のゆえに、周囲から誤解や反対を受けることがあります。その中でも、私たちがこの信仰を持ち続いていくことができるように、聖霊からの導きと励ましがあることは何と幸いなことでしょう。

 

今日の箇所に、使徒ペトロとヨハネが捕えられて裁判を受けたけれども、裁かれないで脅されただけで釈放されて、仲間たちの所に戻って来たとあります。迎えた仲間たちは、彼らのことを心配し祈っていたのでした。しかし、釈放された二人が、裁判の席で尋問に対して、自分たちがしたことを足の不自由な人を助けてあげただけで、それはイエスの名によってそうしただけと正直に語ることができ、良かったと、喜んで報告したのでした。その報告を聞いた仲間たちも、神への感謝にあふれたのです。二人と心を一つにして、神に向かって叫ぶように祈り始めました。

 

祈りの中で、彼らはヘロデとポンティオ・ピラトがイエスを拒んで、十字架につけて処刑したことは、実は神のご計画によってあらかじめ定められたことを行っただけですと語ります。神のご計画どおり、イエスは、メシアの苦難を受けられた。そのように自分たちも今、この神のご計画によってイエスと同じ苦しみを受けさせて頂いているのだと受け止め、ですから、この苦難の中にも神の言葉を大胆に語らせてください、と祈るのです。

2017年9月17日 礼拝説教要旨

大いなる希望

三好 晴夫 牧師

コリントの信徒への手紙 二  第5章1-10節

 

主題聖句:わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。 

             コリントの信徒への手紙二 5章1節

 

 

 人は死んだら肉体は朽ちていきます。それで終わりなのでしょうか。そうではありません。上記の御言葉は、地上での肉体が滅びても、神によって頑丈な「建物」のようなからだが備えられるのだと約束しています。

 

そのからだとは、人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。霊のからだであり、新しい命のからだです。死んだあと、次の世界があると、使徒パウロは「わたしたちは知っている」と語っています。

 

その根拠は、主イエス・キリスト御自身が十字架で死なれたが、三日後、死人の中から復活され、救いを成し遂げられたからです。その御業のゆえに主イエスを信じる者に復活の命が与えられると約束されたからです。ですから、人が死んでも死で終わらず、永遠の命が与えられるのです。この約束は、大いなる希望です。

 

先に神のみもとに召された方々は、生きている間、苦しみや闘いがありました。しかし、この大いなる希望、すなわち、天にある永遠の住みかを頂くことを希望として過ごされ、今神のもとにあります。そして今、私たちも、苦しみや辛さを抱えています。けれども、私たちにも、この大いなる希望が与えられているのです。

2017年9月10日 礼拝説教要旨

神に従う

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13節-22節

 

主題聖句:しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。

                 使徒言行録 第419

 

 

 この世界で神を信じて生きるためには、勇気をもって自分の信仰を表明しなければならないことがあります。そのような時、神の与えられた絶好の機会と思って受け止め、その時、主は支えてくださると信じましょう。

 

今日の箇所に、使徒ペトロたちがユダヤの最高法院という場に立たされて、尋問を受けたときのことが記されています。「何の権威によって病人をいやしたのか」というものでした。それに対してペトロは聖霊に満たされて、それはイエス・キリストの名による、と大胆に語りました。

 

議員たちは使徒たちの大胆な態度を見、彼らが無学で普通の人であるのを知って驚きました。それは彼らがイエスと一緒にいたからだと知りました。しかも、足を癒された男がそばにいるという動かしがたい証拠を見て、彼ら議員は何も言い返せませんでした。ただ、これ以上広まらないように、決してイエスの名によって話してはいけないと命令してきたのです。

 

こういう命令を受けたら、普通、最高法院の命令は、神の命令を代弁するものとして従わなければなりません。しかし、この最高法院の命令は、神の御心とは違っていました。使徒自身、主イエス・キリストの救いを頂き、イエスの証人とされて、その名によって病人をいやしただけなのです。それ故、そのイエスの名を語るなという命令には従えないと語るのです。

2017年9月3日 礼拝説教要旨

救われるべき名

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第4章13-22節

 

主題聖句:ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

                 使徒言行録 第412

 

 

 これは何と大胆な言葉でしょう。使徒ペトロが、イエス・キリストこそ唯一の救い主であると力強く証言した言葉です。ペトロ自身が、イエス・キリストと出会い、この方と共に歩む中で、この方の愛に満たされ、この方によって救われたからこそ、その喜びと感謝からこう語るのです。

 

このように語ったきっかけは、ユダヤの最高法院から、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問されたからです。このような尋問に、以前のペトロなら恐れたでしょう。しかし今、彼は聖霊に満たされて大胆に語り出したのです。今自分が取り調べを受けている理由が、ひとりの病人をよくするために行った善いことのゆえであり、この人が何によっていやされたのかということであるならば、何も罰せられることはありません。むしろ、この人が良くなって皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです、と大胆に証言しているのです。

 

その上で、語らずにはおれないという思いを持って語った魂の叫びでした。イエスのほかだれによっても救いは得られない。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないからです。