2019年3月3日 礼拝説教要旨

 五つのパンと二匹の魚

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第9章1-12節

 

主題聖句:      すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。            

ルカによる福音書 第9章16節

        

福音書には、主イエスのなさった驚くべき御業が数多く記されていますが、その中でこの五千人の給食の奇跡は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に記されています。それほどに、弟子たちにとって忘れがたい記憶に残る出来事であったのでしょう。

 

始まりは、弟子たちが伝道旅行から帰って来たので、主イエスは彼らを連れて静かな場所に退かれ、それを知った群衆が後を追ってきたことからです。その時、主イエスはこの人々を親しく歓迎し、教え、治療の必要な人々を癒やされました。そうするうちに日が傾きかけたので、弟子たちはそばに来て、群衆を解散させ、各自で宿を取り、食べ物を見つけるように主イエスに進言しました。ところが、主イエスは弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われたのです。弟子たちは自分たちにはパン五つと魚二匹しかないと告げました。これではとても多くの人々には足りないと思ったからでした。

 

すると、主イエスは弟子たちに、人々が50人ずつ組みにして座らせるように指示され、その上で五つのパンと二匹の魚を取って天を仰いでそれらのために讃美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡し、群衆に配らせました。すべての人々は食べて満腹したのです。このことは主イエスこそ人々の命を養われる救い主であることを示しています。

2019年2月24日 礼拝説教要旨

 いやすキリスト

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第5章12-26節

 

    主題聖句: イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」

と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。

ルカによる福音書 第5章13節

        

 

 私たちが病気にかかることがあります。自分だけでなく、愛する家族がそうなる場合もあります。そんなとき、休むことが大切です。適切な医師の診断と治療を受けて回復することがあります。そういう時こそ、私たちの心も身体も、創造主なる神によって造られ、支えられていることを覚えたい。神は私たちのことを心配され、守っておられます。その神にこの自分を癒やし回復して頂けるように祈ることができることは幸いです。神の憐れみのみ手が働く時、回復されます。憐れみ深い神は私たちの祈りを聞いて癒してくださいます。

 

今日の聖書箇所の、重い皮膚病を患っていた人は、その病気のゆえの苦しみや辛さを持っていたでしょう。さらに、病気による汚れもあり、人から離れて宿営の外で生活しなければなりませんでした。自分が汚れていると言って、人々を近づけないようにする規定に従わなければなりませんでした。でも、この人はその規定を破って主イエスに近づき清めを求めたのです。ひれ伏して主よ、お心ならば、わたしを清くすることができますとお願いしたのです。その切実な願いに、主イエスは進んで彼に手を差し伸べ、触れ、「わたしの心だ清くなれ」と宣言されその病が癒やされたのです。主イエスがお心をとめられる時、癒されるのです。

2019年2月17日 礼拝説教要旨

 御言葉を聞く

三好 晴夫 牧師

ルカによる福音書 第8章4-15節

 

主題聖句:イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが

許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。     

ルカによる福音書 第8章10節

        

 主イエスは人々に神の国を宣べ伝えられる時、よく、たとえを用いて話されました。そのたとえ話の一つが今日の箇所にある、種を蒔く者が種を蒔いたという話です。その種を蒔く人が種を蒔いたところ、ある種は道端に、ある種は石地に、ある種はいばらの中に、ある種は良い土地に落ちました。それらの種はその後どうなったかを主イエスは話されたのでした。

 

この話が終った後、弟子たちはこのたとえの意味を主イエスに尋ねたのです。その時、主イエスは答えられたのが上記の言葉でした。神の国の秘密は他の人々には理解するのは難しいのでたとえで語られるのです。しかし、主イエスを信じるあなたがたには、神の国の秘密を悟ることが許されていると言われました。あなたがたには神がその秘密が分かるように明らかにしてくださるというのです。

 

そして彼らにこのたとえの意味を教えられました。種を蒔く者の蒔く種が、どのような土地に蒔くかによってその後の成長が違って来る。種とは、神の言葉であり、主イエスの伝える神の言葉を人がどのような心で聞いていくかによって違って来るというのです。主の語られる恵みの言葉を「立派な善い心で」信じて聞く時、実を結ぶのです。