2020年6月7日 礼拝説教要旨

  キリスト・イエスの僕 

三好 晴夫 牧師 

ローマの信徒への手紙 第1章1-7節

主題聖句:キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――   

ローマの信徒への手紙第1章1節

 

今日から、使徒パウロの書いた「ローマの信徒への手紙」を読んで行きます。皆さんはこの手紙を読んだことがあるでしょうか。初めて読んだとき「分かりにくい」と感じた人が多い。でも数節を読むだけで、よく分からないけれども、何か大切なことを自分は今聞いている、ということが分かってきます。もっと分かりたい、読み通したいと思わせる。でも、読み進めるのは、そう簡単ではありません。なぜかと言うと、この手紙には、パウロの信じ伝えたキリストの福音がまとめられた形で凝縮して記されているからです。福音の筋道がきちんと書いてあります。その中心的な言葉が、1章16節「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」。私たちも、救いをもたらす福音の力を頂きたいものです。

 

今日はその第1回目として、この手紙の差出人パウロの記す自己紹介に注目したい。パウロは自分のことを、「キリスト・イエスの僕」と言いました。「キリスト・イエス」とは、2千年前、ベツレヘムでおとめマリアより生れ、神の国の福音を伝え、人類の罪を贖うために十字架に付けられ死なれ、復活され今天の父のもとに帰られたお方です。この方を真の救い主と信じ、心から仕えている者であると自分を意識した言い方です。この認識は、主イエスの救いを受けている人々皆の思いです。

2020年5月31日 礼拝説教要旨

 もうひとりの弁護者  

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第2章1-11節

ヨハネによる福音書 第14章15-27節

 

主題聖句:わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

ヨハネ福音書14章16節

 

今日は、教会の暦では、ペンテコステ、聖霊降臨日です。約束を受けた弟子たちが聖霊を祈り待ち望んでいたところ、その通りに聖霊が降りました。聖霊に満たされた彼らが確信に満ちて、大胆に神の御業を語り始めたところ、主イエスを信じる人々が起こされ、信じる者の群れ、教会が誕生しました。それゆえ教会の誕生を導かれる聖霊を覚えるのです。

 

この聖霊降臨日には、ヨハネによる福音書14章16節以下がよく読まれてきました。この言葉は、主イエスが地上を去るにあたって、残していく弟子たちに語られた遺言ともいうべき約束です。主イエスは、聖霊のことを「別の弁護者」と呼び、ご自分が去った後、ご自分の代わりに別の弁護者として聖霊が弟子たちと一緒にいるように、父にお願いすると約束されたのです。主イエスが彼らのかけがえのない弁護者でした。彼らのそばに立って助けてくださいました。これからは、聖霊が別の弁護者としていつまでも彼らと共におられるのです。

 

この約束が現実になったのが、聖霊降臨日の出来事でした。その日、弟子たちが祈っていたところ、聖霊に満たされ、神のすばらしさを大胆に語り始めたところ、その物音を聞いて集まった人たちが、その語る言葉を聞いて、悔い改めてイエスが真の救い主と信じるようになったのでした。聖霊が信じる人々の内に住み励ましと喜びを与えて下さいます。

2020年5月24日 礼拝説教要旨

 生きた水の流れ 

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第7章32-39節

主題聖句:イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。  

ヨハネ福音書第7章37節

 

今日は、教会の暦では、キリストの昇天を覚える時です。主イエス・キリストが地上を離れて天の父のもとに上っていかれた恵みを覚えたいと思います。

 

主イエスはご自分がこの世を去って天の父のもとに帰る時が近づいた時、地上に残していく弟子たちに、弁護者である聖霊を送ることを約束されました。この聖霊はまことの弁護者として弟子たちと共にいて、彼らを守られます。この弁護者が、イエスを信じる者に与えられるように、主イエスは天の父のもとに上っていかれるのです。

 

主イエスはこの約束の聖霊を受けるように、招きの言葉を語られました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」。作物が育つために水分が必要であり、水分がないと作物は枯れてしまいます。私たちの身体にも適度な水分が必要であり、水分がないと弱ってしまいます。私たちの魂にも、「生きた水」、神様の霊的な祝福が必要です。この霊的な祝福である聖霊が私たちの内にあるとき、私たちは祝福されます。この祝福をいただくために、主イエスは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに」と呼びかけておられます。私たちは神様の慈しみがもっとほしいと思っているでしょうか。渇いて主イエスに信頼するとき「生きた水」聖霊をいただくことができるのです。