2020年8月16日 礼拝説教要旨

 分け隔てのない神の裁き 

三好 晴夫 牧師

ローマの信徒への手紙 第2章6-11節

 

主題聖句:神はおのおのの行いに従ってお報いになります。

                               ローマの信徒への手紙  第2章6節

 

現在、コロナ感染拡大、厳しい暑さなどの過酷な環境の中、私たちは随分我慢を強いられて過ごしています。その中、自己中心的な行動をして周囲を困らせる行動を間近で見聞きすると、私たちは腹が立ちます。そのような行動に対して、神が正しく裁いてほしいと思います。

 

パウロは、「この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。」(5節)と語り、世の終りの時、神の裁きは正しく下ると教えています。

 

その最期の審判は、「おのおのの行いに従って」神がお報いになられるというのです。私たちはこう聞くと、周囲の人たちの悪い行動に対しては、そのような正しい裁きを期待します。しかし、自分については、自分は主イエスを信じて罪を赦して頂き、永遠の命を頂いているのだから、これ以上に善い行いをさらに加えないといけないのはおかしいと思いやすいのです。でも、パウロは、主イエスの救いを信じている人であっても、世の終わりの時、自分の行いに応じて報いを受けることになるというのです。コリント第二5章10節には「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに応じて、報いを受けねばならない」と語ります。私たちは希望を持って耐え忍び神に喜ばれることを求めて行くとき、神は永遠の命を与えられ、自己中心で不義に歩む者に怒りがある。心の奥底まで知り報われる神を信じよう。

 

2020年8月9日 礼拝説教要旨

 神の正しい裁き  

三好 晴夫 牧師

ローマの信徒への手紙 第2章1-5節

 

主題聖句:あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。

                              ローマの信徒への手紙 第2章4節

 

他の人が良くないことをしているのを見たなら、私たちはすぐにその人の間違いが気になり、つい厳しく非難することがあるでしょう。身内ならなおさら言ってあげないと思い、指摘します。口に出さなくても心の中で、もうすでにその人を裁いています。人を裁く時の私たちは、自分は正しいと思い、相手の非を決めつけてひどく裁きます。しかし、しばらくして自分がそんなことを忘れてしまったように、平気で同じことをしてしまうことがあります。矛盾していますが、それが、私たち人間の正体です。

 

人を裁きながら、自分も同じことをしている者に対して、神はどうなさるでしょうか。「神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになる」とパウロは言います。この「正しく」とは、真理に基づいてということです。神の裁きは、真理、神の御心に基づいて行われるということです。

 

自分は間違っていない、正しいと思っている人には、他の人とは違うと思い、余計に神は自分を裁かれることはないと思ってしまうところがあります。でも、神は裁かれないのではないのです。神は私たちを憐れみ、長く忍耐して裁くのをとどめておられるのです。悔い改めるのを待っておられるのです。そのことに気づかずにいて、人を裁いて自分は同じことをしても安心しているのではないでしょうか。神が寛容な愛を持って裁きを控えておられることを知って、心から悔い改めることができますように。