2012年5月13日 礼拝説教要旨

主題聖句 「…わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」         

フィリピの信徒への手紙3章21節

説教主題「栄光ある体に」

  先週は「わたしたちの本国は天にあります。」という御言葉をご一緒に聞きました。「本国はいま生きている地上とは別のところにある」と申しますと、ともすれば、今の生活をないがしろにして、地上から離れ、空想の理想的な世界に逃げ込むということになりかねません。現実逃避ではなく、神の勝利を信じて、非常に具体的に自分の救いの完成を待つのです。救い主イエス・キリストが今神の右に坐しておられるところから、救いを完成してくださるために来てくださるのは確実な揺るぎのない事実であることを確信するのです。この地上のことだけにしか望みを持てないとしたら、こんなに虚しいことはありません。被造物は移ろいゆき、色あせ、やがて朽ちて無くなってしまうからです。

 しかし、天を本国とするものは救い主イエス・キリストが来られた時、復活なさった栄光の体に変えられます。これは私たちが勝手に思い込んで、でっち上げたのではありません。神の約束に基づくのです。ローマの信徒への手紙第8章29節に「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」とあります。―神が決めておられる―なんと安心なことでしょうか。不安定なわたしたちの気分には左右されません。確かな基盤を持ちます。だとすれば、地上の生活をなおざりにもせず、かといってしがみつきもしません。

2012年5月6日 礼拝説教要旨

主題聖句:「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、待っています。」

フィリピ3章20節

説教題「我らの国籍は天にあり」

 わたしたちの親しんだ口語訳には〝本国〟ではなく、〝国籍〟となっておりました。キリスト教の信者さんの墓石に「我らの国籍は天に在り」と刻んであるのを時々見かけます。〝国籍〟の方が馴染み深いかもしれません。〝本国〟というと外国の宣教師や外交官を思い浮かべます。指令は本国からきます。しかし、後方にあって現地の最前線にいる人々を支えるのも本国です。これらの人々は異国の地で生活していても本国の法律で守られています。

 〝天〟とは今わたしたちが生きているこの世、地上の世界と相対立する所です。地上と相対するものとして、コロサイの信徒への手紙第3章1節では〝天〟ではなく、「上」という言葉を用います。そこには復活され、高挙された主イエス・キリストが神の右の座におられます。キリストが救い主として君臨し、支配を及ぼしておられる場所といっても良いでしょう。パウロ先生が「わたしたちの本国は天にあります」というとき、つまり〝わたしたちは救われている!〟と言っているのです。きっと力の籠った大きな声に違いありません。―その本国からイエス・キリストがすでに始まっている救われた生活を完成するために来てくださる。―キリストが来てくださることを待ちわびて、待ち遠しくして仕方がないという気持ちが伝わってきます。それは、永遠の世界にあこがれるあまり、今の地上の生活を忘れ、おろそかにするのではありません。キリストを待ち焦がれる信仰が、現実の戦いを耐え抜く力となるのです。

2012年4月29日 連載(きょうどうNo.18)

「失われた息子(二人の息子)の譬え」の連載を今回は都合で休みます。因みに前回は今年1月29日の週報が第9回でした。

 

ニコデモについての黙想:ヨハネによる福音書第3章1~16節
主イエスがニコデモに言われた言葉…「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

 

新約聖書の中に、主イエスともう一人の人とが言葉を交わす場面があります。内容も興味深いものが多いのです。ヨハネ福音書第3章に登場するニコデモに主イエスはいきなりズバッと核心部分を語られました。それに対してニコデモは「人が新しく生まれる、あるいは生まれ変わるなんて合点が行かない」と正直に反応します。「自分も過去を清算して、すべてをやり直したい。できることならそうしたい。でも実際には、いくらそんなことを願ったとしても誰も出来はしないじゃないか。」ニコデモが〝とんちんかん〟な答えをしていると軽々しく非難することはできません。意識するとしないとに関わらず、だれもが共通に持っている考えだと思います。本当は言いたいのだけれど、言えないことを私に代わってよく言ってくれたとニコデモさんに感謝したくなります。
これに対して主イエスは「誰でも水と霊とによって生まれなければ…」と言われました。教会で洗礼を受けることを思い浮かべます。水の中に全身を浸すと同時に神の霊が注がれる。洗礼において人間を全く新しく造り変える神の力が働かれるのです。(今回読み切り)