2012年5月6日 礼拝説教要旨

主題聖句:「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、待っています。」

フィリピ3章20節

説教題「我らの国籍は天にあり」

 わたしたちの親しんだ口語訳には〝本国〟ではなく、〝国籍〟となっておりました。キリスト教の信者さんの墓石に「我らの国籍は天に在り」と刻んであるのを時々見かけます。〝国籍〟の方が馴染み深いかもしれません。〝本国〟というと外国の宣教師や外交官を思い浮かべます。指令は本国からきます。しかし、後方にあって現地の最前線にいる人々を支えるのも本国です。これらの人々は異国の地で生活していても本国の法律で守られています。

 〝天〟とは今わたしたちが生きているこの世、地上の世界と相対立する所です。地上と相対するものとして、コロサイの信徒への手紙第3章1節では〝天〟ではなく、「上」という言葉を用います。そこには復活され、高挙された主イエス・キリストが神の右の座におられます。キリストが救い主として君臨し、支配を及ぼしておられる場所といっても良いでしょう。パウロ先生が「わたしたちの本国は天にあります」というとき、つまり〝わたしたちは救われている!〟と言っているのです。きっと力の籠った大きな声に違いありません。―その本国からイエス・キリストがすでに始まっている救われた生活を完成するために来てくださる。―キリストが来てくださることを待ちわびて、待ち遠しくして仕方がないという気持ちが伝わってきます。それは、永遠の世界にあこがれるあまり、今の地上の生活を忘れ、おろそかにするのではありません。キリストを待ち焦がれる信仰が、現実の戦いを耐え抜く力となるのです。

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