2021年11月28日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.48 目を覚ましていなさい

たしに聞け 正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。
 イザヤ書 第51章7節

クリスマスの出来事は、何の前触れもなく、突然起こったことではないのです。旧約の昔に、預言者たちが、人々に救い主がお出でになるという神の約束の言葉を預言し、人々に来るべき救い主の来臨の希望を伝えていたのです。その預言を聞いた人々は、目の前の苦しみの中で、その約束を希望としてその時を待ち続けたのです。そのように待ち続ける彼らのもとに救い主がお生まれになられたのです。
旧約の人々がどのような思いで救い主を待望したのかを覚えたいのです。今日開かれたイザヤ書51章は、南ユダ王国も大国バビロンによって滅ぼされて、多くの人々が異国の地に連れていかれ不安と絶望の中にあった時に、預言者に示された、大いなる慰めの言葉です。
人にではなく「わたしに聞け」と神は語られ、神の語る教えに心をとめるように勧めます。神はその語られる言葉に基づいて彼らを救おうとされたのです。それゆえ、預言者イザヤは、神に向かって、神が奮い立って力をまとって神の力強い御腕で、昔、自分たちを救ってくださったように、今、自分たちを救ってくださいと叫ぶように求めています。そうしてくださると信じて待つのです。
私たちも神に心を向け、神の救いを待ち望む思いでクリスマスを待とう。

2021年11月21日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.47 裁かないように

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

      マタイによる福音書 第7章1節

 

他の人の失敗や間違いを知って、それはよくないことだと批判すること、つまり、人を裁くことは、私たちが、結構毎日心の中でしているのではないでしょうか。相手にその間違いを言ってあげて、正してあげることは大切だと思っています。ですが、主イエスは、「人を裁くな」と教えられています。それはなぜでしょうか。

「あなたがたも裁かれないようにするためである。」と言われます。その意味は、人は完全ではありません。そんな人間が相手の間違いに気づいて裁くとき、神に裁かれるからです。正しく裁くことのできる神が見ておられ、裁かれるからです。神は、私たちが人を裁くその裁きに応じて、私たちをも裁かれるというのです。

私たちが人を裁くとき、どんな問題があるのでしょうか、主イエスはたとえを持って教えられます。私たちは、人の目の中にある小さな「おが屑」、つまり小さな欠点や間違いにはよく気が付き、そのことを注意してあげようとします。でも、自分の目の中にある「丸太」、つまり自分の大きな欠点や間違いには気づかないのです。自分の大きな欠点や間違い、それは、相手の状況を考えずに自分の偏った価値観や正義を基準で裁いては正しく相手が見えません。まず神から教えられるべきです。

2021年11月14日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.46 子どもを招く主イエス

「しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

        マルコによる福音書 第10章14節

 

本日の礼拝の中で、子ども祝福式を行うにあたり、子どもたちを祝福することの意味を覚えたいと思います。

子どもたちは「主からいただく嗣業」(詩127:3)であり、その存在そのものが尊いものです。しかし、成長していく過程で様々な困難もありますから、親は子どもたちを心配しながら見守っています。

当時、霊的に力のある先生に、手を置いて祝福してもらおうと親たちは、主イエスのところに、子どもを連れて来たのです。すると、弟子たちは近づく親子たちを叱り、退けようとしました。弟子たちは、主イエスは大人にお話をしていることに忙しく、子どもは邪魔だと思ったのです。大人としての気遣いでした。しかし、主イエスはそのように親子を追い払う弟子たちの行動を叱り「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われました。子どもたちがご自分の方に来るままにさせなさいと歓迎されたのです。それは、子どもたちの中に神の国を受け入れるにふさわしい態度があると見ておられたのです。無心で恵みを受けようとする子どもたちに祝福が与えられるのです。