投稿者: matsuyama-allian
2021年11月7日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.45 思い悩むな
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
マタイによる福音書 第6章25節
私たちは日々生活をしていく中で、様々な心配事が出てきます。あの事、この事と気になっています。ますます焦ってしまったり、心落ち着かずに動揺してしまい、思うようにいかなくなってしまい、いろんな不安がますますあふれて来ます。
この「思い悩む」とは、いくつものことを同時に見てしまって一つに向かない心のことです。ルカ10:38節以下で、主イエスをもてなそうとしたマルタの姿に見られます。その姿に主イエスは「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。」と注意されました。私たちも、このように多くのことに思い悩み、心を乱しやすいのではないでしょうか。そのように思い悩む私たちに対して、主イエスは「命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」と言われました。
命は、私たちに大切なものとして神がお与えくださったものです。神はこの命を与えて下さっているのですから、命に必要な食べ物をも与えて下さるはずです。体も、私たちに大切なものとして神が与えて下さっているのだから体に必要な衣服をも与えて下さると神を信じましょう。
2021年10月31日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.44 天に富を積みなさい
富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
マタイによる福音書 第6章20節
神を信じて歩む私たちですが、地上で生活するわけですから、ある程度のお金が必要です。お金なしには生活できません。そしてある程度の富を蓄えて、安心を得ようと生きています。
主イエスは今日の箇所で「地上に富を積んではならない」と教えています。地上に富を蓄えると虫やさびによって朽ちます。その富が盗まれてしまうこともあるからです。地上に蓄える富は一時的には安心を与えてくれますが、自分を死から守ってはくれません。
「天に富を蓄えなさい」と教えています。「天」それは神様です。神様に心を向けることです。私たちは国籍を天に持っている者ですから、神に心を向け、神に喜ばれるように生きることです。神から多くのものを与えられています。与えられたものを、自分のものとしないで、神様のものとして用いていくことです。神様に私たちが心を向けることができるように、もうすでに父なる神様はイエス・キリストという宝を私たちに用意していてくださいます。神様の御前に私たちの罪の赦しがあり、永遠の命の祝福があります。私たちはこの天の宝に心を向けて、その恵みを味わいながら神に喜ばれることをさせていただくのです。
2021年10月24日 礼拝説教要旨
きょうどう-2021年 No.43 暗い顔をしないように
断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。 マタイによる福音書 第6章16節
この箇所で、主イエスは断食を勧めているのでも、否定しておられるのでもありません。当時の人々が、信仰のあり方の一つとして守っていた断食に注目し、この断食のあり方を通して、今日の私たちの信仰生活の基本的なあり方を明確に指摘しておられるのです。
断食は、少しの期間食事を断つことです。旧約時代以降、イスラエルにおいて、神の前に罪を悲しみ悔い改める時に、断食をして、心も体も集中して深く罪を自覚し、神に心を向けて祈りと悔い改めをしました。深く悲しむために自ら食を断つことをしたのです。
主イエスが教えられたことは、信仰生活は、人にではなく神に見てもらうことを心がけよということです。神に心も体も向けて断食するときに、誰かに見てもらい、自分がちゃんと信仰生活をしているのを見てもらおうとしてしまうことがあったのです。それでは、神に向けてではなく、人に認めてもらおうとしていることだと指摘されています。むしろあなたの断食が人に気づかれないで神にだけ見ていただくようにしなさい。暗い顔をせず、喜んで過ごしなさい。主イエスにあって神の前に罪を悔い改めることは、主イエスから罪赦されて喜びに至ることだからです。主イエスが共におられます。このお方と共に喜んで歩むのです。