2021年9月12日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.37 御国を来たらせたまえ

「御国が来ますように。」  マタイによる福音書 第6章10節

 

主イエスが弟子たちに「こう祈りなさい」と教えられた祈りが、今日も「主の祈り」として祈られています。その中の一つ、「御国が来ますように」の祈りに注目しましょう。

この「御国」とは、どこかに建てられる理想的な国(場所)のことではなく、神がまことの王として支配されるという神の働きそのものを示す言葉です。主イエスが宣教を始められた時、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)と言われました。神が王としてこの世界を治められることが、主イエスの救い主としての働きによって始まったのです。主イエスが神の国について教えて、神の国の民となるように導かれ、神の御力によって多くの人々の病気を癒されました。「神の国は近づいた」と言われた主イエスは、すべての人に救いが与えられるように、人々を愛し、神の愛を語り、愛を示されました。神のご支配がますます大きくなり、確かなものとなるように働かれました。神のご支配は主イエスの福音が宣べ伝えられるところですでに始まっています。ですから「どうぞ、皆も私も救い、神の支配の中に導いてください」と祈りましょう。

この祈りにはもう一つの意味があります。この世にあって危機的な状況に遭遇するかもしれません。そんな中でも、神のご支配を信じて歩むことができますように。それは、主イエスが、再びお出でになり、神の国を完成し皆を救うと約束してくださっているからです。

2021年9月5日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.36 真実の祈り

 

だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。                 

マタイによる福音書 第6章6節

 

 

祈りは、神の子とされた私たちが父なる神様に自分の思っていることをお話することです。父なる神は私たちが祈るのを待っておられます。ですから、遠慮しないで何でも神様にお話しすることです。

 

ですが、いざ実際に祈ろうとするとき、どのように祈ったら良いのか、戸惑うことがあります。祈りたいと思ってはいても、どういうふうに祈ったら良いのか、悩んでしまうことがあるのではないか。

 

そんなとき、主イエスがどう祈られたのか、どう祈るように教えられたのかを学ぶことが、祈りにおいて最も大切なことです。

 

今日の箇所で、主イエスは、祈る時どのような姿勢で祈るべきかを教えておられます。「祈る時にも…偽善者のようであってはならない」と。主イエスが偽善者と呼ばれた人たちは、人に見てもらおうと人の集まる会堂や大通りという目立つ場所で、人々の反応を気にしながら祈っていたのです。神に祈っているはずなのに、人々の反応を気にしながら祈ることは問題だと言われました。

 

ではどうしたらよいのでしょう。祈る時、神様とだけ独りになって祈ることです。一人静かに神に思いを集中し、神の言葉を思い、神様にお話しすることです。隠れた所におられる神が聞いて下さいます。

2021年8月29日 礼拝説教要旨

きょうどう-2021年 No.35 神のみ前に生きる

 

 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。」    

 マタイによる福音書 第6章1節

 

マタイ6章から新しい段階に入ります。ここでは、神を信じる者が神のみ前において、全面的に神により頼んで生きることを教えています。私たちが神と共に生きていこうとするとき、この世の中にあってどういうふうに気を付けて生きていくべきかということです。

ここに「善行」とあります。これは、当時のユダヤ人の重んじていた信仰生活の具体的な行いでした。「施し」「祈り」「断食」です。この行為をしていくとき、陥りやすい問題点があるというのです。

信仰は心の中で信じることですが、必ず表に現れてきます。信仰生活の中で行いがあらわれてくることは大切なことです。今日の私たちに照らせば、礼拝を忠実に守る、献金をささげる、日毎に祈ることをしています。それらは大切なことであるがゆえに、その中で問題も起こりやすいのです。偽善になってしまいやすいので、主イエスは注意しておられます。私たちは人を意識しやすい、善行を行っているときでも、他の人の目を気にしやすい。人からの評価を期待しがちです。しかし、主イエスは、それは違うと言われます。なぜなら、神は隠れたところで見ておられる方だからです。神は私たちの心も、言葉や行いもすべて知っておられ、報いてくださいます。この神を意識しよう