2022年5月8日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.19 同じ思いになりなさい

 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、

                   フィリピの信徒への手紙 第2章1節

 

 最近コロナ感染者が以前に比べて少なくなっています。感染予防対策をしなければなりませんが、普通の生活が少しずつできるようになっています。気を許してはいけませんが、教会でも、主日礼拝をささげるだけでなく、マスクをしながらですが、にこやかに交われるようになってきました。今後、もっと交わりを持てたらと思います。そんな時だからこそ、共に生きるために何が大切なことなのかを、聖書(フィリピ書)から教えられたいと思います。

2章2節で「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」とパウロは、フィリピの教会の人たちに繰り返し語り、共に生きることは簡単ではないことを伝えています。フィリピ教会でもお互いの考えが違ってまとまらず問題があったようです。そのような教会に向けて共に生きていくためにパウロがまず勧めていることは、神様が私たちに与えておられる恵みを受け取って生きることです。「キリストによる励まし」。キリストがいつもそばにいて励ましてくださる。「愛の慰め」。神がその大きな愛によって慰めてくださる。この恵みを共に受けていく思いとなっていこう。

2022年5月1日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.18 信じる者になりなさい

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。…信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

                   ヨハネによる福音書 第20章27節

 

 十二人弟子の一人のトマスという人は大変正直な人であったと思います。いい加減なことができないので、自分が本当に信じられなければ、信じたとは言えない人でした。

主イエスが復活されたその日の夜、弟子たちのいる所に主イエスが現れたとき、トマスは一緒にいませんでした。トマスが戻ってきた時、他の弟子たちから復活された主イエスにお会いしたことを聞いても、それを信じることができないと断言しました。それは主イエスがあの十字架で死なれ、葬られたことは確かな事実であり、自分も捕らえられるかもしれない恐怖の中にあったからです。あなたがたが言うように、主イエスが復活なさったのならば、その主イエスの指にできた御傷に、この指を突っ込んでみないと信じないと言ったのです。正直な言葉です。

それに対して主イエスは8日後弟子たちの集まっているところに入って来られ、トマスだけに語りかけられました。あなたはわたしが復活したことを信じられないそうだが、この傷に指を突っ込まなければ信じないというのならそうしなさいと言われました。主イエスはトマスを思いやっておられます。この思いやりの言葉は私たちにも慰めの言葉です。

2022年4月24日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.17 平和があるように

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

                      ヨハネによる福音書 第20章19節

 

 今日も復活された主イエス・キリストを覚えたいと思います。

主イエス・キリストが復活された日の夕方、弟子たちがユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて家の中に閉じこもっていたところ、そこへ復活された主イエスが入って来られ、真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。

「平和があるように」。この言葉はヘブル語で「シャローム」と言い、平和、健全、安寧、繁栄という豊富な意味が含まれた言葉です。日常のあいさつに使われた言葉です。でも、主イエスがここでこの言葉を使われたのは、ただ挨拶の意味だけではなく、その言葉の示す「平和」が本当にあるようにとの祝福する意味で使われたと思われます。

それは、彼ら弟子たちが、女性の弟子たちの言う「主を見た」との証言が信じられず恐れていたからです。恐れる彼らに本当の平和を与えようとされたのです。この「平和」を与えるという約束は主イエスが十字架にかかられる前夜、最後の晩餐の席で語られた言葉でした。主イエスの両手と脇腹の御傷を見せられたとき、彼らは喜びに変わり平和を得た

2022年4月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2022年 No.16 あの方は復活なさった

 

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 

                       マルコによる福音書 第16章6節

 

 今日は主イエス・キリストの復活を喜びお祝いするイースターです。十字架にかかられて死なれた主イエスが、神の全能の御力によって復活されたのです。

人は必ず死にます。死んだら葬られます。主イエスも十字架刑に処せられて確かに死なれ墓に葬られました。ですから女性の弟子たちは主イエスのためにできることは今一度ご遺体に香料を塗って差し上げることくらいと思い、週の初めの朝早くその墓に近づいたのです。その墓に行ったらそこには主イエスの体がなかったのです。そこにいた青年から、

「あの方は復活なさって、ここにおられない」と告げられました。さらに弟子たちとペトロに「あの方はあなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と伝言するように命じられたのです。しかし、彼女たちには、この青年の伝える主イエスの復活を信じられず、恐れて墓を出て逃げ去りました。全く受け止められなかったのです。

しかし彼女たちは恐れて墓を出て弟子たちに伝えて行く中で、主イエスの復活の事実に励まされ、その事実を私たちにも語りかけるのです。