投稿者: matsuyama-allian
2022年1月30日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.5 実によって見分けなさい
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
マタイによる福音書 第7章15節
これまで「山上の説教」において、神を信じる者がどのように生きるべきかが、教えられてきました。いよいよしめくくりに近づき、今日の箇所では、「偽預言者を警戒しなさい」と教えています。
偽預言者は、信仰者を装ってキリストを信じている顔をして来て、自分の考えを持ち出して、教会の人々を、キリストの教えに生きることから離れるように妨げていく教師です。彼らに気を付けなければなりません。旧約時代、預言者エレミヤが神の言葉を語ろうとした時、偽預言者は、エレミヤの語るのを妨げ、人々にとって本物らしいことを語って彼らを妨げ、エレミヤを苦しめました。パウロの時代にも、パウロの語る福音を妨げる教師たちが現れて、教会も惑わされた時がありました。今日も、キリストの言葉を退けて、神の教えから人々を離れさせることが起こらないとも限りません。私たちが、偽預言者になる可能性もあるかもしれません。
ではどう気を付けるかというと「実で彼らを見分ける」ことです。「良い木は良い実を結ぶ」。良い木であるキリストにつながって、キリストの愛を受けて、このお方を信じる信仰に生かされ、救われていることです。そういう実を私たちも結ばせていただきたいものです
2022年1月23日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.4 狭い門から入りなさい
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
マタイによる福音書 第7章13節
この言葉は、多くの人に知られています。この世という競争社会で、よりよい成果を得たいならば、困難な道を歩むべきだと、競争に勝つように励ます意味で使われています。この言葉を語られた主イエスは、そのような意味で使われたのではありません。主イエスは、命に通じる狭き道を選んで命を得よ、呼びかけておられるのです。
人生には重大な分かれ道があります。命に至る道か、滅びに至る道かを選ばなければなりません。「滅びに通じる門は広く、その道も広々としてそこから入る者は多い」のです。多くの人、ほとんどの人が自分が堕落しているとは思わないで、周囲の人々を意識しながら何の咎めも感じないで自分の好きなように滅びに向かっています。 しかし、もう一つの道の、命に通じる門は狭く、道も細いのです。狭くないはずなのですが、狭く感じてしまうのです。苦しみも伴うからでしょう。主イエスの教えられたことが、愛の神を信じて従うという厳しい教えであり、それに苦しみもあるからでしょう。神の前に自分の罪に気づかされて、神に頼るしか自分の救われる道がないと認めて心低くされる道です。この道はキリストの歩まれた道です。キリストが招いておられる道です。キリストが私たちの心の目を開いて命に通じる道を示しておられます。
2022年1月16日 礼拝説教要旨
きょうどう-2022年 No.3 大切な戒め
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書 第7章12節
この言葉は、昔から「黄金律」(ゴールデンルール)と呼ばれています。人間が生きる上で黄金のように大切な教えということです。
この教えは、主イエスがこれまで山上の説教において、神の国の民として神を信頼して歩むために、こうあるべきだと教えてこられましたが、それをまとめるとこうなるというのです。
この教えはまず、「人にしてもらいたいと思うことは」とあります。どんな時、私たちは生活の中で、人にしてもらいたいと思うかというと、つらい時、苦しみで耐えている時です。そんな時に人から助けてもらえたらという思いが強くなります。そういう苦しい時、何とか助けてほしいと思います。でも、実は他の人も同じことをしてほしいと思っているのです。その人を思いやって同じことをしてあげなさいと言われるのです。主イエスは、自分のつらさが分かり、その自分が助けられて良かったとわかるならば、そのことを人にしてあげなさいと教えられるのです。
でも、どうでしょうか。自分には、人にしてもらいたい思いは強いのですが、人に同じようにしてあげることはできないものです。でも父なる神から恵みを受けていることを覚えて、そうする力を頂きましょう。