きょうどう-2022年 No.34 罪を明らかにする律法
ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。
ローマの信徒への手紙 第7章4節
「律法」。それはモーセを通して与えられた神からの具体的な指示と教えです。イスラエルの社会の中で、人間のなすべき行動の原理として重んじられてきました。この律法があることによって、人間がどう生きたらよいか、何が間違ったことかを知ることができました。もしこの律法がなければ、何が正しいことかが分かりません。律法と言う基準がないならば、自分が間違っていてもそれに気づきません。律法を通して私たちは自分の罪を知るのです。
パウロは、7節で掟が「むさぼるな」と言わなければ、わたしはむさぼりを知らなかったと言います。私たちがこの「むさぼるな」という掟を知らなかったら、むさぼることが罪であると知らず、このむさぼる心が良くないとは思いません。「むさぼるな」と明確に戒めたのだから、むさぼりは罪です。このように、律法によらなければ、罪を本当に知ることはないのです。律法によって罪を知るのです。「ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。」(4節)。人がむさぼるなという掟を聞いたとき、罪はこの掟によって機会を捕らえ、この掟によって罪は刺激され、むさぼる心が自分の中に湧きあがり、むさぼる行動に向かってしまいます。このように律法によって罪を知っても律法には救う力はありません。罪からの救いはキリストによるのです。