きょうどう-2021年 No.29 律法を完成されるキリスト
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならな
い。廃止するためではなく、完成するためである。
マタイによる福音書第5章17節
当時のユダヤ人たちは、律法が神の御心をあらわすものであって、神に喜ばれるために、神の望んでおられるこの律法を全力で守らなければならないと思い、生きようとしていました。
しかし、主イエスの語られた言葉、なさった行動は、律法から自由なふるまいで、律法を廃止しようとしているかのように思われました。主イエスは、ユダヤ人たちが付き合いを避けている律法を守らない罪人や遊女と平気で交わり食事をなさっていたからです。ユダヤ人たちが重んじていた安息日規定を、主イエスは無視して、安息日に病気にかかっている人をいやすわざをなさいました。主イエスは律法を守らなくても良いと教えていると、人々から思われたようです。
そこで、主イエスは、御自分が来たのは、律法を廃止するためではなく、完成するためであると、はっきりと語られたのです。主イエスご自身、神の御心である律法を完全に守り、律法が人のうちで生きることができるようになさいました。実は、人間はその罪のゆえに律法を守ることができません。そこで、主イエスは、律法を完全に守りつつ、人間を罪から救い出すために、人間の負うべき裁きを背負ってくださったのです。律法の要求するところを完全に満たしてくださったのです。主イエスの救いによって信仰により律法に従うことができる。