2016年12月18日 礼拝説教要旨

 神は我々と共におられる

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第1章18-23節

主題聖句:「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

                         マタイによる福音書第123

 

 

「インマヌエル」すなわち、「神が我々と共におられる」ということは大きな恵みです。

 

主の天使が夫ヨセフに言われたことは、マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったものである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからであるということでした。この主の天使の言葉を、福音書の著者マタイは、イザヤ書7章14節の預言の言葉と結びつけて、このイエスと名付けられるお方こそ、その存在と働きの全体において、「インマヌエル」すなわち神は我々と共におられると言われるにふさわしいお方である、と説明しています。イエス・キリストにおいて、神は人間の世界に入って来られ、自分たちを神様のものとして回復してくださったのです。

 

私たち人間は神に造られたものですが、神に背を向け、神から遠く離れて神と自分との間に大きな隔たりが生じています。その結果、神が共におられない状態の中に人間がおかれてしまっていました。しかし、このような神と人との隔たりを人は埋めることはできません。そこに、神様は、その隔たりを取り除くために、御子を送ってくださり、神自ら、私たちのそばに来てくださったのです。私たちと共にいることを目に見える形で始めてくださいました。イエス・キリストにおいて神が私たちと共にいてくださるのです。

 

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