2012年8月12日 礼拝説教要旨 

「希望」

ロ-マの信徒への手紙 第5章1-5節

 政所邦明牧師

主題聖句:「希望はわたしたちを欺くことがありません」

ローマの信徒への手紙 第5章5節

 

 パウロは別の手紙で「信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。」(コリントの信徒への手紙一 第13章13節)と書いています。「これこそ大切だ」と判断して追い求めても、それらのものが途中で消えて無くなるなら、追求する行為そのものが虚しいと言えるでしょう。「どうせ追い求めるなら、永遠に続くものを!」と誰しもが考えます。そこでこの3つを取り上げます。今日は希望です。

わたしたちが日常生活で使う「希望」はどうでしょうか。「希望的観測」などと言います。「そうなったらいいのだけれどなあ~。でもおそらくそうなるまいよ。」希望とは自分の都合が良いように勝手に空想することと考えがちです。多くの場合、願う前から実現不可能なことだと諦めています。そうなればもう希望とは言えないでしょう。「希望が失望に終わる」それは希望の本質からして明らかに矛盾です。何と虚しい話ではありませんか。

パウロは上記のローマの信徒への手紙で「希望はわたしたちを欺かいない」と申しました。わたしたちが日常経験で用いる希望とは違うようです。この言葉の少し前に「神の栄光にあずかる希望」(第5章2節)という言葉が出てきます。それはイエス・キリストの十字架と復活の救いによって、神との正しい関係(平和)の中に入れられたことを根拠にしているのです。わたしたちの思い入れの強さではなく、神の救いの確かさが基になっています。さらに念を押すように「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(5章5節)とはっきり保証をしてくれているのです。

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